201811/20

「負の遺産」から戦争の悲惨さを知る 内戦の舞台となったサラエボを訪ねて [海外旅行 ボスニア・ヘルツェゴビナ]

トンネル博物館がある民家の壁。銃弾の痕と人が亡くなったことを示す赤ペンキの印が生々しい

トンネル博物館がある民家の壁。銃弾の痕と人が亡くなったことを示す赤ペンキの印が生々しい

楽しいところへ行くばかりが“一生モノの旅”ではありません。日本なら原爆ドーム、ポーランドならアウシュヴィッツ強制収容所など、人類が犯した「負の遺産」を見るダークツーリズムも私は必要だと思います。数年前、高校生の息子とボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに立ち寄りました。1990年代に起きた悲惨な内戦の舞台になった町です。その訪問は、私たちに強い印象を残しました。

周囲を丘に囲まれたサラエボ市街

周囲を丘に囲まれたサラエボ市街

20世紀の歴史の舞台になったサラエボ

「20世紀はサラエボに始まってサラエボに終わった」という言葉があります。初の世界戦争である第一次世界大戦は、1914年にサラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件をきっかけに始まりました。そして戦争が終わった時、大国の地図は塗り替えられ、初めての社会主義政権ソビエト連邦が誕生していました。

約70年後の1980年代末に始まった社会主義陣営の崩壊は、1990年代にはユーゴスラビアにも押し寄せ、民族同士の対立と内戦に発展します。連邦国家だったユーゴスラビアからまずはスロベニア、次にクロアチアが独立。その流れでボスニア・ヘルツェゴビナでも、4割ほどのボシュニャク人(ムスリム人)と2割弱のクロアチア人が共闘し、ユーゴからの独立を図ります。しかし少数派になってしまうことを恐れた3割ほどのセルビア人がユーゴ軍の後押しを求め、内戦が始まります。

現在は観光客でにぎわうサラエボ旧市街

現在は観光客でにぎわうサラエボ旧市街

サラエボ包囲とは

1992年4月には首都サラエボの包囲が始まりました。サラエボは周囲を丘陵地帯に囲まれた盆地ですが、それをセルビア人勢力が囲み、町への電気、ガス、水道を止め、砲撃や銃撃を繰り返すようになります。

ただし空港は平和維持活動のために国連軍の管轄下にありました。それを利用して多くの戦場ジャーナリストがサラエボ入りし、その悲惨さを世界に伝えます。1996年にようやくサラエボ包囲が終わりましたが、その間に1万2000人が亡くなり、うち1万人近くは民間人でした。

当時、私はまだ若く、長い旅の途中にいました。NATOがセルビアへの空爆を止めた2か月後に私はセルビアを訪れましたが、お隣の国にあるサラエボはまだ旅行者が行くような場所ではありませんでした。車で5時間の距離ですが、その時は果てしなく遠かったのです。いつか平和になったら訪れたいと、私はその時願いました。

トンネル博物館のトンネル。中は大人は屈まないと歩けない高さ

トンネル博物館のトンネル。中は大人は屈まないと歩けない高さ

サラエボに物資を届けたトンネル

約20年後の2016年、私は高校生の息子と夏休みを利用し、初めてサラエボを訪れました。オスマン朝時代に造られた旧市街にはイスラム教のモスクやマドラサ(神学校)、ハマム(公衆浴場)があり、どこかトルコの地方都市のようでもあります。しかしここには、クロアチア人のためのカトリック教会やセルビア正教会、ユダヤ教のシナゴーグもあります。内戦さえなければ、サラエボは多様な民族が平和的に共存できる魅力的な都市なのです。

町に着き、私たちはすぐに観光案内所主催の「トンネル博物館」に行くツアーに参加しました。これはサラエボ包囲の間、市内に物資を運んだり、町の人を脱出させたりするために掘られたトンネルです。場所は町の外れ、空港滑走路のすぐ近くの民家内でした。

最初にトンネルの成り立ちを解説する20分ほどのビデオを見て、約800mのトンネルの一部に入ります。トンネルの高さは1.6メートル、幅1メートル。大人の男性なら少しかがんで歩くことになるでしょう。荷物を運びやすいようにトンネルの下部にレールが敷き、トロッコを利用していたようです。このトンネルがわずか4か月で掘られたとは驚きです。外に出ると、今は博物館となっているこの民家の壁に銃弾の痕が残っていました。赤くペンキが塗られている部分もありますが、これは死者が出た場所です。20年も前の戦争ですが、ここに立つととても生々しく感じました。

「ギャラリー11/07/95」は旧市街と新市街の境目にある

「ギャラリー11/07/95」は旧市街と新市街の境目にある

「Don’t Let Them Kill Us」のメッセージ

町では「ギャラリー11/07/95」を訪れました。長い部屋を仕切って写真が展示してあるだけのシンプルな展示室です。まずは上映しているドキュメンタリービデオを見るようにとの指示があります。ドキュメンタリーは30〜40分のものが2本で、1本はこのギャラリーの名前にもある1995年7月に起きた「スレブレニツァの虐殺」についてのものです。詳細は書きませんが、これは内戦時に避難民8000人が殺されたジェノサイドの事件です。英語字幕ですが、状況がすごいので内容は理解できるでしょう。

もう1本は「ミス・サラエボ」というドキュメンタリーです。サラエボ包囲の最中に若者たちがミスコンを主催し、それを世界に報道してもらう姿を描いたものです。呑気だと思う人もいるでしょうが、ニュースにならないと毎日人が殺されていても誰も注目しないのがこの世の中です。ミスコン参加者たちが最後に、「Don’t Let Them Kill Us」という横断幕を掲げます。これが若者たちの精一杯の抵抗なのです。U2のBonoがPassengers名義でパバロッティとテーマ曲を歌っていました。正にこのドキュメンタリーの舞台の町にいるということもあり、映像を見ながら涙が出ました。私の息子も感じるところがあったでしょうか。内戦の過酷さを伝える、素晴らしい写真も展示されています。ぜひ、みなさんにも訪れて欲しいギャラリーです。

 

サラエボの街を歩くと、建物に空いた銃弾や砲弾跡、人がそこで死んだことを示す赤ペンキの印に出遇います。サラエボに泊まったのは1泊だけでしたが、子供にはなかなか重い観光になったことでしょう。彼がピンと来たかどうかはわかりませんが、心のどこかにこの体験が引っかかっていてくれたらと願っています。今でもU2の「ミス・サラエボ」を聴くと、サラエボに行った時の感情がこみ上げてきます。かなりのインパクトがある訪問でしたが、それも“一生モノの旅”といえましよう。

 

 [DATA]

ギャラリー11/07/95
開館時間:10:00〜18:00

サラエボ・トンネル博物館Sarajevo Tunnel Museum
開館時間:9:00〜16:00
アクセス:公共交通機関もあるが、最後は歩くのでタクシーかツアーで行くのが一般的。旧市街中心部から車で20分ほど。空港からは5分。

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

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