201903/14

ビートルズのヒットナンバー『ホワイトアルバム』 名曲が生まれたインドのリシュケシュ

現在は入場料をとって観光地としているが、とくに整備もしていないらしい

2018年11月9日、ビートルズが1968年に発売した10作目のオリジナルアルバム『ザ・ビートルズ』(俗称“ホワイトアルバム”以下、「ホワイトアルバム」と表記)の「50周年記念アニバーサリーエディション」が発売されました。リミックス、デモ、別スタジオテイクなどが盛り込まれたこのボックスセットは、長年ビートルズの音楽を聴いてきた私にとっては宝の宝庫です。さて、このオリジナルアルバムに含まれた30曲のビートルズナンバーのうち、半数近くがインドで書かれたことを知っていますか? ガンジス川上流の聖地リシケシュ、そのアーシュラム(ヨガ道場)のひとつに滞在している間に、ビートルズは曲作りをしていました。何年か前、私は現在廃墟となっているこのアーシュラムを訪れました。それは私にとっては、特別な訪問でした。

1968年2月、ビートルズがインドにやってきた

首都デリーから特急列車で約4時間。ガンジス川が流れるヒンドゥー教の聖地ハリドワールから、さらに24km上流にさかのぼったところにリシケシュはあります。ハリドワールが一般信者の詣でる町としたら、ここリシケシュは修行者の町。多くのヨガ道場のアーシュラムがあり、世界中から瞑想を学びにやってくる人が集まってきます。

前年1967年6月、ビートルズの最高傑作と言われるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が発売。その後、瞑想に関心を持ち始めていたビートルズは、8月にイギリスで行われたグル(導師)であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギの超越瞑想合宿コースに参加しました。翌年、ビートルズは自分たちの会社アップルを設立しますが、その前の2月にインドへ本格的な瞑想合宿の旅に旅立ちました。

ガンジス川上流にある聖地リシケシュ。ここには多くのヨガのアーシュラム(道場)がある

ジョン、ジョージ、リンゴの3人はそれぞれの妻と、未婚のポールはガールフレンドを連れてリシケシュに到着します。妻のシンシアを同行したジョンですが、すでに心はオノ・ヨーコへにあり、修行中も文通を続けていました。この合宿には、ほかにもビーチボーイズのマイク・ラヴ、イギリスのフォークシンガーであるドノヴァンといったミュージシャンも参加していました。

アーシュラムには設備の整ったバンガローのほか、プールや劇場、菜園、庭があり、野生動物も自由に出入りしていたようです。ポールは「まるでサマーキャンプのようだった」と語っていますが、ビートルズのメンバーはまだ20代半ば。きっと仲間たちだけでリラックスしていたのでしょう。1日5時間の瞑想と講義以外は自由時間でした。リシケシュは聖地なので肉食と飲酒は禁じられていましたが、大麻はOKだったようです。彼らは長い夜をギターを弾いて曲を作ったり、歌ったりして過ごしたのでしょう。

キャッチーなホワイトアルバムA面には4曲収録

さて、ここからはアルバムの収録順に、リシケシュで書かれた曲をアナログ各面ごとに紹介しましょう。アルバムの冒頭を飾る『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』はポール作で、歌詞とビーチボーイズ風のコーラスは、修行仲間だったビーチボーイズのマイク・ラヴ(隣の部屋だった)の提案によるものとか。『ディア・プルーデンス』は、合宿に参加していた女優のミア・ファローの妹プルーデンスが、瞑想に熱心なあまり部屋に引きこもったことを題材にした曲です。ジョンの作曲で、滞在中にドノヴァンに教えてもらった3フィンガーピッキングが印象的です。

陽気な『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』は、ポールによれば合宿中によくみんなで歌ったとか。ジョンの『コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル』は、アーシュラムに来たアメリカ人のナンシーとリチャードのクック母子の虎狩り話を聞いたジョンが、彼らに非難をこめて書いた曲です。

1970年代に入りアーシュラムが使われなくなると、次第に建物は自然に戻り始めた

今は建物の中には何もなく、がらんとしている

ホワイトアルバムB面には6曲が収録

『アイム・ソー・タイアード』は、ジョンが修行中に睡眠不足で疲れていたことや、ヨーコと離れていることの辛さなどを歌にしたもの。『ブラックバード』はインドで書かれたかはわかりませんが、ドノヴァンに教わった3フィンガーピッキングを(ポールなりに)2フィンガーにアレンジして弾いているのがわかります。『ロッキー・ラクーン』は、そのドノヴァンとジョンの助けを得て完成したフォーキーな曲です。

『ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・オン・ザ・ロード』は、ポールが合宿中に見たサルの交尾から作った他愛のない曲です。実際、インドの聖地にはサルが非常に多く、このアーシュラムも例外ではありません。合宿中に作ったポールの『アイ・ウィル』に続き、ドノヴァンから教わった3フィンガー奏法を使ったジョンの弾き語りソロ曲『ジュリア』が収められています。歌詞にはヨーコ(Ocean Child=洋子)と、亡き母ジュリアのイメージが織り込まれています。

1968年の2月から4月にかけてビートルズのメンバーが超越瞑想の合宿をしたマハリシ・マヘーシュ・ヨー

ホワイトアルバムC面には3曲が収録

激しいブルース『ヤー・ブルース』も、意外にもインドで書かれた曲です。マハリシの講義「自然との調和」に感化されてポールが書いた『マザーズ・ネイチャーズ・サン』は、リシケシュの朝の静けさが伝わってくるような名曲です。なお、同じ講義を受けてジョンが書いた曲「Child of Nature」は、ホワイトアルバムに収録されず、のちに歌詞を書き直して『ジェラス・ガイ』としてリメイクされました。『セクシー・セディ』は、リシケシュでジョンが書いた最後の曲です。マハリシが女性信者にセクハラをしたという噂を聞き、失望したジョンが彼を非難する歌ですが、真相はわかりません。D面には、リシケシュで作られた曲は1曲も入っていないようです。

合宿の予定は1ヶ月でした。しかしリンゴは妻モーリーンと共に「食事が合わない」との理由で、2週間で帰国します(のちに「本当は子供と会えないことが寂しかったから」と語っています)。ポールは予定どおり一ヶ月で帰国。ジョンとジョージは2ヶ月間滞在し、4月に帰国しました。

アルバムの録音は5月30日に始まります。しかし録音が始まった時、ジョンの隣にいたのは妻のシンシアではなくヨーコでした。録音は10月14日に終了し、シンプルに『ザ・ビートルズ』と名付けられた白一色のアルバムは英米では11月に発売され、英米とも1位を記録しました。

 

 

このアーシュラムは1970年代に空き家となり、施設は朽ちていきました。2000年代になり地元の役所の管理下になりましたが、私がこのアーシュラムを訪れた2010年代前半は、まだ一般公開はされてはおらず、中を見たい人は管理人に50ルピー(約100円)程度のチップを払って入れてもらっていました。静けさの中、廃墟と化した建物の間をひとりで歩くのは、少し怖いものもありました。しかしそれも50年前、若きビートルたちがここに滞在し、多くの名曲を生んだのだろうかという感慨が打ち消しました。インドには何回も行っていますが、このビートルズの聖地への旅も私にとっては“一生モノの旅”なのです。

 

 

[DATA]

ビートルズ・アーシュラム
2018年より公式に一般公開されている。
[開]毎日9:00〜16:00 [入場料]外国人600ルピー(約1200円)
[アクセス]リシケシュ中心部から徒歩20分。リシュケシュへはデリーから鉄道の特急でハリドワールへ行き(1日2本、約4時間)、そこからバスかタクシーで約1時間

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

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