201904/01

“一生モノ”となる新婚旅行はどこ? 編集部が選んだハネムーン先5選

グラナダのアルハンブラ宮殿と市街。パラドールは宮殿の敷地内にある(スペイン)

そもそもどこに行くにせよ、ハネムーン自体が“一生モノの旅”であることにはまちがいありません。行く場所は本来それほど重要ではないのです。しかし今回はあえて「こんな旅もできます」という提案をしてみます。実はここで紹介する5つの旅はすべて、実際に編集部の知り合いが行ったハネムーンの中から評判が良かったものから選びました。こんな新婚旅行先もあると、あなたのハネムーンの参考にしてみてはいかがですか?

スペインの宮殿ホテルに泊まる。異国情緒たっぷりのアンダルシア(スペイン)

マドリッドやバルセロナなどの大都市も楽しいスペインですが、ハネムーナーへのおすすめは、落ち着いた雰囲気が漂う地方都市です。とりわけスペイン南部のアンダルシア地方は、かつてのアラブ文化の名残りもあり、雰囲気抜群。私たちがスペインと聞いてイメージするフラメンコと闘牛も、実はアンダルシアが発祥の地なのです。町に着いてしまえば、その中心部はほぼ徒歩圏なので移動の心配もありません。正味一週間ほどあれば、アンダルシアの代表都市を回ることもできるでしょう。

さて、せっかくのハネムーン。ならば泊まってみたいのが、宮殿や古城、修道院などの歴史的建造物を利用した「パラドール」です。アンダルシア人気の都市グラナダのパラドールは、アルハンブラ宮殿の敷地内にあります。なのでそこへの宿泊は、まさに一生の思い出になるでしょう。ほかにもヌエボ橋の眺望で有名なロンダにあるパラドールは、橋のすぐ脇にあり宿泊料金も手頃でおすすめです。

 

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スペイン
Parador de Granada

 

 

エーゲ海のミコノス島の丘上に並ぶ風車(ギリシャ)

青い海と白い壁の町。エーゲ海の島々をフェリーで回る(ギリシャ)

エーゲ海には多くの島々があり、4〜9月のシーズン中はフェリーが頻繁に行き来しています。この半年間は雨も少なく、エーゲ海のすばらしい「青」が堪能できるのでハネムーンに検討してみてはいかがでしょうか。ギリシャの島々の滞在は何も豪華ホテルに泊まる必要はなく、ハネムーンでも青い空と海が見えるテラス付きの客室でのんびりと過すだけで十分なのです。

断崖絶壁の上に町があるサントリーニ島では、白壁の町と青い海のコントラストが堪能できます。とりわけ崖上から見るエーゲ海のサンセットはふたりの一生の思い出になるでしょう。作家の村上春樹氏が滞在し、『ノルウェイの森』を執筆していたのがミコノス島です。家々の壁が白一色で統一されたミコノスタウンの散策は心地よく、湾沿いのレストランで丘上の風車を見ながらのんびりと食事をするのもいいでしょう。そのほかにも、迷宮伝説が残るクレタ島、騎士団領だったロドス島もハネムーナーにおすすめの島です。

 

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ギリシャ政府観光局http://www.visitgreece.gr/

 

 

ジャイプルにある宮殿ホテルのランバーグパレス。ライトアップされた庭(インド)

ラジャスタンの宮殿ホテルでマハラジャの栄華を体験する(インド)

「インドはハネムーナーにはハードルが高い」と考えている方は多いでしょう。しかしインドは世界的な大富豪も数多く輩出している国。豪華なホテルやレストランもあり、さまざまなタイプの旅行ができます。そこで編集部からのおすすめは、宮殿ホテルでの滞在です。インドには、独立まで「藩王」とも呼ばれるマハラジャが統治している地域がありました。そのマハラジャの宮殿が現在はホテルになっているのです。

宮殿ホテルが多いのはインド北西部のラジャスタン州です。州都ジャイプルにあるランバーグパレスはマハラジャの邸宅を改装したホテルで、室内の調度品からレストランや庭園といった施設にいたるまで、すべてがゴージャス。ジョードプルのウメイドバワンパレスは現在も建物の一部に藩王の一族が住んでおり、ここも建築や内装は一級品です。ハネムーンにぴったりなのが、湖上に浮かぶ島がそのまま宮殿ホテルになっているウダイプルのレイクパレスでしょう。こうした宮殿ホテルに泊まり、ふたりでマハラジャ、マハラニ気分を味わってみてはいかがでしょうか? きっと忘れられない思い出になりますよ。

 

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ランバーグパレス
https://www.tajhotels.com/en-in/taj/rambagh-palace-jaipur/

ウメイドバワンパレス
https://www.tajhotels.com/en-in/taj/umaid-bhawan-palace-jodhpur/

レイクパレス
https://www.tajhotels.com/en-in/taj/taj-lake-palace-udaipur/

 

 

こんな雄大なグランドキャニオンも、ラスベガスから足を延ばして行ける

ラスベガスではショッピングとエンタメ、グランドサークルの大自然でリフレッシュ(アメリカ)

どこに行くかに悩みがちなハネムーン。大自然を見ながら心も体もリフレッシュしたいと思う人もいれば、ショッピングやエンタメを楽しみたい人もいるでしょう。そこで編集部がおすすめするプランは、ラスベガスを基点にして「グランドサークル」と呼ばれるアメリカ西部の国立公園エリアを周遊する旅です。

ラスベガスはカジノだけではありません。泊まってみたくなるテーマホテルの数々。シルク・ド・ソレイユをはじめとするエンタメ。そして高級ブランドが入る大型モールから郊外のアウトレットモールまで、ショッピングも大満足。現在はカップルや家族も楽しめる街なのです。

このラスベガスを基点としてツアーやレンタカーで行けるのが、ダイナミックな大自然の景観を満喫できる「グランドサークル」エリアです。ここには日本では到底見ることができないスケールの峡谷グランドキャニオン、波打つような岩の造形のアンテロープ・キャニオン、そしてパワースポットとしても名高いセドナなどがあります。都会のラスベガスと組み合わせると旅に変化がつき、すてきなハネムーンになるでしょう。

 

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ラスベガス政府観光局
https://www.visitlasvegas.com/ja/

グランドサークル(ユタ州観光局)
https://utah.com/itinerary/grand-circle-tour

グランドキャニオン国立公園
https://www.nps.gov/grca/index.htm

 

ベネチアのグランド・カナル(大運河)。ここから多くの小さな運河が枝分かれしている(イタリア)

水の都ベネチアで、ロマンチックな時間を過ごす(イタリア)

車が通れない細い路地を歩いていると突然、広場や運河に架かる橋に出る。目を落とすと、人を乗せたゴンドラが運河を行き交う…。そんなロマンチックな風景が目の前に広がるのがベネチアです。ここは千年にもわたるベネチア共和国の都として繁栄した「水の都」。歴史的な建物から一級の芸術品まで満喫できるこの都市は、ハネムーナーに人気の旅先です。

ベネチアの町歩きは、歴史を感じさせるカフェが並ぶサン・マルコ広場から始まります。広場正面にあるサン・マルコ寺院は、11世紀に建てられたビザンチン建築の傑作。他にも総督が住んでいたドゥカーレ宮殿、リアルト橋、ベネチア派絵画を集めた美術館など見どころは多いですが、やはりベネチアではロマンチックな街の散策が一番印象に残るでしょう。

旅のベストシーズンは春から秋にかけての4〜9月。ただし7〜8月は非常に混み合うのでできれば避けたほうがいいでしょう。連泊するなら、世界遺産のドロミテ渓谷への日帰りツアーもおすすめです。

 

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イタリア政府観光局
http://visitaly.jp/

ベネチア観光局
http://www.venice-tourism.com/en

 

 

一生の思い出となるハネムーン。できれば失敗したくないですが、あまり思いが強すぎると旅先で疲れてしまいます。ただでさえ気が張ってしまう海外。欲張りすぎず、ゆるい日程で回るのが成功の秘訣です。また、行き先選びで大事なのは旅の季節。写真をいっぱい撮るからにはベストシーズンを狙いましょうね。

 

 

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一生モノ 関連リンク
グラナダhttps://issyoumono.com/products/515.html
セビーリャhttps://issyoumono.com/products/526.html
スペイン観光局 公式サイトhttps://www.spain.info/ja/
パラドール公式サイトhttps://www.parador.es/en
スペインのパラドールのサイトだが、日本のホテル予約サイトからも予約ができる

 

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

201903/14

ビートルズのヒットナンバー『ホワイトアルバム』 名曲が生まれたインドのリシュケシュ

現在は入場料をとって観光地としているが、とくに整備もしていないらしい

2018年11月9日、ビートルズが1968年に発売した10作目のオリジナルアルバム『ザ・ビートルズ』(俗称“ホワイトアルバム”以下、「ホワイトアルバム」と表記)の「50周年記念アニバーサリーエディション」が発売されました。リミックス、デモ、別スタジオテイクなどが盛り込まれたこのボックスセットは、長年ビートルズの音楽を聴いてきた私にとっては宝の宝庫です。さて、このオリジナルアルバムに含まれた30曲のビートルズナンバーのうち、半数近くがインドで書かれたことを知っていますか? ガンジス川上流の聖地リシケシュ、そのアーシュラム(ヨガ道場)のひとつに滞在している間に、ビートルズは曲作りをしていました。何年か前、私は現在廃墟となっているこのアーシュラムを訪れました。それは私にとっては、特別な訪問でした。

1968年2月、ビートルズがインドにやってきた

首都デリーから特急列車で約4時間。ガンジス川が流れるヒンドゥー教の聖地ハリドワールから、さらに24km上流にさかのぼったところにリシケシュはあります。ハリドワールが一般信者の詣でる町としたら、ここリシケシュは修行者の町。多くのヨガ道場のアーシュラムがあり、世界中から瞑想を学びにやってくる人が集まってきます。

前年1967年6月、ビートルズの最高傑作と言われるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が発売。その後、瞑想に関心を持ち始めていたビートルズは、8月にイギリスで行われたグル(導師)であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギの超越瞑想合宿コースに参加しました。翌年、ビートルズは自分たちの会社アップルを設立しますが、その前の2月にインドへ本格的な瞑想合宿の旅に旅立ちました。

ガンジス川上流にある聖地リシケシュ。ここには多くのヨガのアーシュラム(道場)がある

ジョン、ジョージ、リンゴの3人はそれぞれの妻と、未婚のポールはガールフレンドを連れてリシケシュに到着します。妻のシンシアを同行したジョンですが、すでに心はオノ・ヨーコへにあり、修行中も文通を続けていました。この合宿には、ほかにもビーチボーイズのマイク・ラヴ、イギリスのフォークシンガーであるドノヴァンといったミュージシャンも参加していました。

アーシュラムには設備の整ったバンガローのほか、プールや劇場、菜園、庭があり、野生動物も自由に出入りしていたようです。ポールは「まるでサマーキャンプのようだった」と語っていますが、ビートルズのメンバーはまだ20代半ば。きっと仲間たちだけでリラックスしていたのでしょう。1日5時間の瞑想と講義以外は自由時間でした。リシケシュは聖地なので肉食と飲酒は禁じられていましたが、大麻はOKだったようです。彼らは長い夜をギターを弾いて曲を作ったり、歌ったりして過ごしたのでしょう。

キャッチーなホワイトアルバムA面には4曲収録

さて、ここからはアルバムの収録順に、リシケシュで書かれた曲をアナログ各面ごとに紹介しましょう。アルバムの冒頭を飾る『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』はポール作で、歌詞とビーチボーイズ風のコーラスは、修行仲間だったビーチボーイズのマイク・ラヴ(隣の部屋だった)の提案によるものとか。『ディア・プルーデンス』は、合宿に参加していた女優のミア・ファローの妹プルーデンスが、瞑想に熱心なあまり部屋に引きこもったことを題材にした曲です。ジョンの作曲で、滞在中にドノヴァンに教えてもらった3フィンガーピッキングが印象的です。

陽気な『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』は、ポールによれば合宿中によくみんなで歌ったとか。ジョンの『コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル』は、アーシュラムに来たアメリカ人のナンシーとリチャードのクック母子の虎狩り話を聞いたジョンが、彼らに非難をこめて書いた曲です。

1970年代に入りアーシュラムが使われなくなると、次第に建物は自然に戻り始めた

今は建物の中には何もなく、がらんとしている

ホワイトアルバムB面には6曲が収録

『アイム・ソー・タイアード』は、ジョンが修行中に睡眠不足で疲れていたことや、ヨーコと離れていることの辛さなどを歌にしたもの。『ブラックバード』はインドで書かれたかはわかりませんが、ドノヴァンに教わった3フィンガーピッキングを(ポールなりに)2フィンガーにアレンジして弾いているのがわかります。『ロッキー・ラクーン』は、そのドノヴァンとジョンの助けを得て完成したフォーキーな曲です。

『ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・オン・ザ・ロード』は、ポールが合宿中に見たサルの交尾から作った他愛のない曲です。実際、インドの聖地にはサルが非常に多く、このアーシュラムも例外ではありません。合宿中に作ったポールの『アイ・ウィル』に続き、ドノヴァンから教わった3フィンガー奏法を使ったジョンの弾き語りソロ曲『ジュリア』が収められています。歌詞にはヨーコ(Ocean Child=洋子)と、亡き母ジュリアのイメージが織り込まれています。

1968年の2月から4月にかけてビートルズのメンバーが超越瞑想の合宿をしたマハリシ・マヘーシュ・ヨー

ホワイトアルバムC面には3曲が収録

激しいブルース『ヤー・ブルース』も、意外にもインドで書かれた曲です。マハリシの講義「自然との調和」に感化されてポールが書いた『マザーズ・ネイチャーズ・サン』は、リシケシュの朝の静けさが伝わってくるような名曲です。なお、同じ講義を受けてジョンが書いた曲「Child of Nature」は、ホワイトアルバムに収録されず、のちに歌詞を書き直して『ジェラス・ガイ』としてリメイクされました。『セクシー・セディ』は、リシケシュでジョンが書いた最後の曲です。マハリシが女性信者にセクハラをしたという噂を聞き、失望したジョンが彼を非難する歌ですが、真相はわかりません。D面には、リシケシュで作られた曲は1曲も入っていないようです。

合宿の予定は1ヶ月でした。しかしリンゴは妻モーリーンと共に「食事が合わない」との理由で、2週間で帰国します(のちに「本当は子供と会えないことが寂しかったから」と語っています)。ポールは予定どおり一ヶ月で帰国。ジョンとジョージは2ヶ月間滞在し、4月に帰国しました。

アルバムの録音は5月30日に始まります。しかし録音が始まった時、ジョンの隣にいたのは妻のシンシアではなくヨーコでした。録音は10月14日に終了し、シンプルに『ザ・ビートルズ』と名付けられた白一色のアルバムは英米では11月に発売され、英米とも1位を記録しました。

 

 

このアーシュラムは1970年代に空き家となり、施設は朽ちていきました。2000年代になり地元の役所の管理下になりましたが、私がこのアーシュラムを訪れた2010年代前半は、まだ一般公開はされてはおらず、中を見たい人は管理人に50ルピー(約100円)程度のチップを払って入れてもらっていました。静けさの中、廃墟と化した建物の間をひとりで歩くのは、少し怖いものもありました。しかしそれも50年前、若きビートルたちがここに滞在し、多くの名曲を生んだのだろうかという感慨が打ち消しました。インドには何回も行っていますが、このビートルズの聖地への旅も私にとっては“一生モノの旅”なのです。

 

 

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ビートルズ・アーシュラム
2018年より公式に一般公開されている。
[開]毎日9:00〜16:00 [入場料]外国人600ルピー(約1200円)
[アクセス]リシケシュ中心部から徒歩20分。リシュケシュへはデリーから鉄道の特急でハリドワールへ行き(1日2本、約4時間)、そこからバスかタクシーで約1時間

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

201902/28

まるで冒険映画の世界 インドの幻想的な「生きた橋」

木の気根を誘導して作った橋は、地域の人にとって大事な通り道

インド最東端の山の中に、少数民族が生きた木の気根を編んで作った橋が点在します。橋は何百年も生き続け、緑の風景に溶け込み神秘的な姿を見せています。このような橋がなぜ作られたのでしょうか。

ちょっと行きにくい場所、あまり知られていない場所を訪れ、そこにしかない何かに出会えたら、ありきたりな場所へ行くよりも、旅の満足度は何倍にもなります。私が訪れたインドの辺境地帯が、ちょうどそんな場所でした。インドの定番とは異なる風景や食べ物、人々に出会い、毎日がわくわくする発見の日々。なかでも特殊な気候が生み出した「生きた橋」を目の当たりにできたことは、その旅のハイライトともいえるものでした。

インドのなかでも特殊な地域

「生きた橋」があるのは、インドでも最も北東に位置するエリア。最狭部32kmの細長い通路のような土地でインド本土と結ばれて、バングラデシュをまたぐように延びている部分です。7つの州から成るため、この地は「7姉妹州」と呼ばれています。

右側の濃いオレンジ色の部分が7姉妹州。メガラヤ州のほかに、アッサム州、トリプラ州、ミゾラム州、マニプル州、ナガランド州、アルナーチャル・プラデーシュ州があります

この地域はモンゴロイド系を含む多くの少数民族が暮らす、民族の宝庫。本土とは隔絶されたロケーションと、独特な自然環境、そして普通のインドとは全く異なる東アジア的な文化もあります。かつては入域制限も多い情報の少ないエリアでしたが、2010年あたりから許可なしでも入れる州が増え、外国人旅行者も訪れやすくなりました。行くなら今がチャンスかもしれません。

州都シロンから「生きた橋」を目指す

7姉妹州の玄関口といえるのが、国際空港を備えたアッサム州のグワハティ。「生きた橋」があるメガラヤ州の州都シロンは、そこから南に約100kmの場所にあります。私はシロンの観光案内所などで情報を集め、大きな荷物を宿に置き、1泊2日で「生きた橋」を目指すことにしました。

シロンからチェラプンジへ向かう車窓からの眺め

シロンのバラ・バザール(マーケット)から出ている「チェラプンジ(ソーラ)」行きスモをなんとか見つけて乗り込みます。「スモ」はローカル向けの乗り合いバンのこと。3列の席にそれぞれ4人ずつ乗ったぎゅうぎゅうの状態で、ひたすら南西へ向かいます。

周囲は木が少ない荒涼とした風景で、本当にジャングルの中にあるという「生きた橋」に向かっているのだろうかと不安になります。

チェラプンジで定期的に行われるマーケット

1時間半ほどでチェラプンジの町に着くと、週に一度のマーケットが開かれていました。ローカル感あふれる雰囲気があまりにも面白く、写真を撮りながらぐるぐると歩き続けました。

農作物や肉、果物などを売買しているのは、メガラヤ州の主要民族であるカーシ族。現在も母系制を保持し、豚肉をよく食べるなど、インド本土にはない特有の文化をもちます。

ただひたすら谷を下って最初の「生きた橋」へ

チェラプンジの町で、さらに先に向かうスモを探し当てて乗り込み、ティルナ村への分岐で下車しました。辺りにはいつの間にか緑の風景が広がっていました。ティルナ村から徒歩でしか行けない場所にノングリアート村があり、「生きた橋」はその周辺にあるようです。

ティルナ村を過ぎると長い長い下り階段が続きます。段差が小さいコンクリートの階段を下ること30分で谷底に到着。徒歩5分ほどの川辺に、立派な「生きた橋」が架かっていました。

「長い木の根橋」と呼ばれるJingkieng-Ri-Tymmen

「生きた橋」は、インドゴムノキから垂れ下がる気根を竹などにからませ誘導し、長い年月をかけてそれが成長したときにやっと完成する橋です。

最初に目にしたこの構造物も、成長した木の根がしっかりと結び合い、立派な橋を形作っていました。辺りに人は一人もおらず、豊かな緑のなかでひっそりと息づく「生きた橋」。そこには自然の一部でありながらも、人の手が加わった不思議な存在感があり、その美しさ、珍しさは強く印象に残りました。

さらに奥のノングリアート村に宿泊

「長い木の根橋」があった場所から、ノングリアート村へまでは徒歩30~40分。この村にはゲストハウスがあり宿泊もできますが、頑張ればシロンから日帰りも可能でしょう。細いヤシの木がたくさん生えた、徒歩でしか行けないとてものどかな村です。

ノングリアート村の近くには、「ダブルデッカー」と呼ばれる2重の「生きた橋」が架かっていました。この辺りには大小8ヵ所の「生きた橋」がありますが、これはとくに有名な橋です。恐らく下の橋が必要を満たさなくなったので、新しい橋を上に架けることにしたのでしょう。

「ダブルデッカー」。地元の人によると上は80年前、下は200年前に作られたそうです

「生きた橋」が生み出された背景

ところで、チェラプンジという名前が出たところで気づいた人もいるかもしれませんが、この地域は世界屈指の多雨地帯として知られています(チェブランジは年間降水量世界一を記録したことがあります。東京の約8倍)。橋がある場所はすべて、5月中旬~9月のモンスーンの季節には、激しく水が流れる河川となるのです。

雨が多い山岳部では、奔流に架けられた木の橋は、流されたり腐ったりしてすぐに使えなくなってしまいます。生きたインドゴムノキの気根は、恐らくそんな環境に耐えられる唯一の伝統的な建材だったのでしょう。メルヘンチックにも思える「生きた橋」は、実は特殊な気候の地域で暮らす人々の知恵と、自然の力が生み出したものだったのです。

 

現地で行き方を調べ、手探りで訪れたノングリアート村。交通手段がなかなか見つからなかったり、思ったよりも時間がかかったりなど、予測できないことが多くありました。でも、それだからこそ、目的地に行けたうれしさや、予想外のものに出会えた喜びは大きかったです。これらの橋を、ほとんど人がいない場所で眺めることができたのも、特別な体験となりました。

まだ秘境感がたっぷり残るノングリアート村と、その周辺に散らばる「生きた橋」。訪れてみれば、あなたにとっても“一生モノの旅”となるに違いありません。

 

菅沼 佐和子

初めて海外を一人旅したとき、こんなに遠くまで来たこと、そして完全に自由であることが、猛烈にうれしかった記憶があります。日本にはない風景や異質な文化、未知の人々に出会うのも大きな喜びですが、究極的にはそれらを含め、「どこか遠くにいる自由な自分」をより強く感じさせてくれる場所が、私にとっての“一生モノ”の旅先なのです。

菅沼 佐和子
この記事を書いた人

この記事を書いた人菅沼 佐和子

201902/15

インド最果ての秘境ラダック 雄大な自然と友との邂逅

花畑の間の小さな流れで顔や頭を洗う友人

インド最北端の山岳地帯で、数年来の知り合いである友人の実家に招かれました。観光地化されていない村の雄大な自然と、厳しい自然のなかの素朴な暮らしに触れる、忘れられない旅となりました。

旅先で、現地人の家に泊めてもらったことはありますか? 旅をしていると、「ぜひうちに来てほしい」という招待を受けることが時折あります。中にはあやしいお誘いもあるし、旅のスケジュールがいっぱいで行く時間がないときもあるでしょう。しかし信頼できそうな人を見極め、思い切って行ってみると、それがかけがえのない体験になることがあります。私にとってはインド北部で友人の実家を訪れたことが、これまでで最も印象に残った現地人の家滞在となりました。

普通の旅行では絶対行かないような場所

訪れたのは、インド最北端のジャンムー・カシミール州と、その隣のヒマーチャル・プラデーシュ州の境にある、チュミギャルツァという村です。標高2000m前後の山岳リゾートであるマナーリーという町から、標高3500mにあるレーを中心とするラダック地方へは、夏にのみ開通する長い道が延びています。その村は、その道路の途中にあるサルチュという場所から、約2時間歩いた場所にありました。

道路沿いにお茶や食べ物を売るトタン製の小屋が並ぶサルチュ

訪れたのは、インド最北端のジャンムー・カシミール州と、その隣のヒマーチャル・プラデーシュ州の境にある、チュミギャルツァという村です。標高2000m前後の山岳リゾートであるマナーリーという町から、標高3500mにあるレーを中心とするラダック地方へは、夏にのみ開通する長い道が延びています。その村は、その道路の途中にあるサルチュという場所から、約2時間歩いた場所にありました。

チュミギャルツァ村は20戸ほどの民家から成る集落で、ホテルも飲食店もなく、観光客はまず行かない場所です。2つの州がそれぞれ領有権を主張しているエリアのため、携帯電話が通じず、地図にも表示されないことが多いです。現地の人が案内してくれなかったらなかなか行けませんし、その存在すら知ることがなかったでしょう。

レーを朝まだ暗いうちに発ち、もうもうとほこりが入り込んでくるバスに揺られて約8時間。サルチュでバスを下りました。

黒い点のように見えるのは野良犬。飢えると人を襲うことがある恐ろしい存在なので、ラダックの人々は非常に警戒していました

雄大な自然の中を村までハイキング

サルチュには、友人タシのお母さんが迎えに来てくれていました。ここからチュミギャルツァ村までは、山と川の間を縫って続くかすかな道をたどって歩きます。

あいにくの曇り空でしたが、標高4000mを超えると思われる木のほとんど生えない土地で、切り立つ山々の峰や、放牧されたヤギの群れ、清らかなツァラップ川を眺めながら行くのは爽快でした。なかでも一番美しかったのは、ようやくたどり着いたチュミギャルツァ村の風景。麦の穂が揺れ、黄色い花が咲き乱れるこの土地は、短い夏を謳歌しているように見えました。

レーなどの町の家に比べると簡素ですが、ここにもラダック伝統のダイニングルームが

素朴な村の暮らしを垣間見る

友人の実家は、日干しレンガで作られた伝統的なラダックの家でした。冬の間の家畜の飼料となる麦の穂が、屋根に積まれていました。父親は所要で町に行っているとのこと。私は持参のテントを家の前に張らせてもらい、ここに2日間滞在しました。

食器がずらりと壁に並ぶ、ラダックらしい台所がこの家にもありました。手前のストーブに、拾ってきた小枝や動物の糞を入れて火をつけ、煮炊きをします。

水はきれいな流れの場所まで汲みに行かなければいけません。すぐに燃えてしまう燃料を集めるのも一苦労でしょう。麦の栽培と家畜の放牧で生計を立てる、この地の暮らしの大変さが思われました。

2階の小部屋は仏間になっていました。ラダック人の多くはチベット仏教を信仰しています。お経の束が壁に並び、宗教的な絵や、彼らが敬愛するダライ・ラマ14世の写真が飾られ、器に入れた水や米、ヤクのミルクで作ったバター灯が供えられていました。

短い夏を喜ぶかのように黄色い花が咲き誇るチュミギャルツァ村

絶景の中での牧歌的な日々

村での日々は、とてもシンプルでした。

朝は花畑の間を流れる冷たい小川で顔を洗い、前日の服を洗濯します。食べ物や飲み物は、基本周囲でとれたもの。伝統のバター茶を飲み、トゥクパと呼ばれる麦の粉とチーズを入れたスープや、ヤクの干し肉をいただきます。野菜は貴重で、夏の間のわずかな期間にのみ栽培できるそうです。

日中は周囲を散策。一歩外に出るだけで美しすぎる風景が広がり、近くにはフクロウが棲む独特な形の谷や、かつて金色の魚がいたという、おとぎ話に出てきそうな池などがありました。近所のおじいさんがヤクの毛でロープを編んでいるところを見かけて、お手伝いもしました。

夜は「チャン」という、麦から作ったビールのようなお酒を飲みながら、友人に通訳してもらってお母さんと話したり、ラダック語の単語を習ったり。就寝前、戸外には満点の星空が広がり、眠りにつくのが惜しいほどでした。

冬はツァラップ川の水が減少し、村に車で入ることができるそうです

夢見るような美しさに後ろ髪を引かれながら

3日目、チュミギャルツァ村を後にした私は、サルチュから乗り合いバンを乗り継いで山を下り、ケイロンという町に1泊して、森の緑に包まれたマナーリーへ下りました。

標高が高く、周囲に町はなく、人が暮らすには非常に厳しい環境のチュミギャルツァ村。でも、だからこそ美しい自然と昔ながらの暮らし、そして心温まる人々との出会いがありました。村をあとにした私は、まるで天上界にでもいたかのように、しばらくの間夢見心地の状態でした。

 

もしあなたに仲のよい外国人の友達がいたら、その人の実家はどんなところかと尋ねてみてはいかがでしょうか。もし興味を引かれる場所で、タイミングが合って訪れることができたら、普段とはひと味違った旅になるに違いありません。もしかすると、それまでまったく知らなかった場所が、その後何度も訪れたくなる”一生モノ”の旅先になるかもしれませんよ。

菅沼 佐和子

初めて海外を一人旅したとき、こんなに遠くまで来たこと、そして完全に自由であることが、猛烈にうれしかった記憶があります。日本にはない風景や異質な文化、未知の人々に出会うのも大きな喜びですが、究極的にはそれらを含め、「どこか遠くにいる自由な自分」をより強く感じさせてくれる場所が、私にとっての“一生モノ”の旅先なのです。

菅沼 佐和子
この記事を書いた人

この記事を書いた人菅沼 佐和子

201811/22

タージ・マハルはなぜ美しく見えるのか?歴史や建築を知り、理解をより深める旅 [海外旅行 インド]

屋上のカフェからタージ・マハルを眺める

屋上のカフェからタージ・マハルを眺める

「インドの観光地」というと、あなたは何を思い浮かべますか? たぶん多くの人があげるのがタージ・マハルでしょう。ドームを抱く、イスラム様式の白亜の霊廟です。あの建物の何が我々をひきつけるのでしょうか。今回は、北インドの古都アーグラーにあるタージ・マハルの魅力をお伝えします。

南の正門の中から聖廟を見ると、枠内にきれいに切り取られて見える

南の正門の中から聖廟を見ると、枠内にきれいに切り取られて見える

タージ・マハルは皇帝の愛妃の墓だった

16世紀、モンゴル系のバーブルが中央アジアからインドに本拠地を移し、建国したのがムガル帝国です。この帝国は、第3代皇帝アクバルの時代にアーグラーを都として大いに栄え、第6代皇帝アウラングゼーブの時代に領土が最大になります。タージ・マハルが築かれたのは、帝国の全盛期である第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代で、インド・イスラーム文化が最も栄えた時代でもありました。

1628年、シャー・ジャハーンは兄弟を血塗られた争いで殺し、皇帝につきます。彼には多くの妃や妾がいましたが、愛していたのは14人の子供をもうけたムムターズ・マハルでした。しかしシャー・ジャハーンが皇帝に即位した3年後に、彼女は産褥熱で亡くなってしまいます。シャー・ジャハーンは大いに嘆き悲み、1年後の1632年にムムターズを埋葬する巨大な霊廟の建設を始めます。これがタージ・マハルです。霊廟建設のためには、インドだけでなく周辺諸国からも優れた職人が集められました。白大理石で建てられたこの壮麗な霊廟が完成したのは、着工から20年近く経った1653年のことでした。

1657年、シャー・ジャハーンが病気になると、彼の4人の息子たちは帝位を狙って争い始めます。勝ち残った4男のアウラングゼーブは、病気から回復したシャー・ジャハーンの軍も破り、帝位を簒奪。父をアーグラー城に幽閉します。かつて兄弟達を殺して帝位についたシャー・ジャハーンですが、その報いが来たのかもしれません。1666年、シャー・ジャハーンは幽閉先のアーグラー城で亡くなりました。

正門を出ると視界が開け、正面にタージ・マハル廟が見える

正門を出ると視界が開け、正面にタージ・マハル廟が見える

タージ・マハルがもっとも美しく見えるのはどこ?

タージ・マハルには、東西と南の3つの門がありますが、私は南の正門からの入場をおすすめします。というのも、タージ・マハルは正門から入場した時に美しさが引き立つように設計されているからです。正門内に入ると最初は霊廟が出口いっぱいに見えますが、出口に近付くにつれ今度は逆に霊廟がどんどん遠ざかっていくように見えます。“じらし”のテクニックです。しかし正門を出ると急に視界が開け、四分庭園の奥にある白い霊廟の全体が目に飛び込んできます。

聖廟に近づいていくと、建物が少しずつ重量感を増しているように見えてくる

聖廟に近づいていくと、建物が少しずつ重量感を増しているように見えてくる

四分庭園はペルシャ(イラン)から伝わった庭園様式です。霊廟の手前にこの庭園を配した空間を作ることで、霊廟本体の美しさが際立つようになっているのです。たとえば庭園を歩き霊廟に近づいていくと、見慣れたはずの霊廟の見た目が変化していくのがわかります。これもテクニックで、近づくにつれて4本のミナレット(尖塔)が視界から消え、霊廟本体の重量感が増してくるのです。つまりそれまでミナレットが、霊廟に軽さと優雅さを作りだしていたのです。

聖廟はどの面から見ても同じ形で、均整のとれたプロポーションをしている

聖廟はどの面から見ても同じ形で、均整のとれたプロポーションをしている

左右対称が唯一崩れているのはどこ?

タージ・マハル本体である霊廟は、高さ7mの基壇の上にあります。近付くと遠くから見えていた大ドームが建物に隠れて見えにくくなり、霊廟がさらに重々しく見えてきます。霊廟の建物は正方形の四隅を切り落としたような、変則八角形。ぐるりと一周すると、どこから見ても同じ形に見えることがわかりますよ。

霊廟の中はとてもシンプルで、余計なものはありません。中央にあるのがムムターズ・マハルの棺で、その脇にあるのが皇帝シャー・ジャハーンの棺です。庭園から建物まで、見た目すべてが対称的に造られているタージ・マハルの世界ですが、ここだけが非対称になっています。アウラングゼーブは父シャー・ジャハーンの霊廟を造りませんでした。妃の棺の脇に添えられた棺を見ると、晩年の皇帝の哀れさと、息子の父に対する憎しみが感じられるでしょう。

 

タージ・マハルには、仕事を含め全部で7〜8回は行っています。最初は、ただ外観の素晴らしさに圧倒されるだけでしたが、何度も行くうちにその歴史や建築にも興味を惹かれるようになりました。調べてみると気づかなかったこともまだまだあり、知ればもう一度行って確かめたくなるんですよね。誰もが知っている有名観光地ですが、人を魅了するだけの理由がそこにはあるのです。建設当時の人々の美意識を想像するのも旅の楽しみです。それも“一生モノ”の旅でしょう。

 

 [DATA]

タージ・マハル
URL( www.tajmahal.gov.in/ )
開:日の出〜日没 休:金曜
料金:1100ルピー( ADA料金含む )

一生モノ 編集部

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この記事を書いた人

この記事を書いた人一生モノ 編集部

201811/14

家族で行く海外旅行。一年の始まりをインドの聖地で親子で迎えるガンジス川の初日の出

ガンジス川の日の出

ガンジス川の日の出

ひとりで行く旅もいいですが、家族と行く旅行というものもまた別の良さがあります。ひとりの場合は、自分と旅先が1対1で向き合い自分を見つめ直すことができますが、家族と一緒の場合は、日頃見られない家族の表情や対応を新鮮に感じるときがあります。その年、私は高校生になった息子を連れ、インドのガンジス川で初日の出を見ることを思いつきました。

冬の北インドは乾季なので、川の水量は少ない

冬の北インドは乾季なので、川の水量は少ない

シヴァ神を祀るヒンドゥーの聖地へ

ヒマラヤ山脈の南麓を水源とする大河ガンジスは、インド北東部の平原を流れ、やがて他の川と合流してベンガル湾に注ぎ込みます。この川の中流域にあるのが、ヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナシーです。川沿いのガート(沐浴場)で身を清め、シヴァ神を祀るヴィシュワナート寺院(黄金寺院)を参拝するため、多くの巡礼者が訪れる町です。町があるのはガンジス川の西側で、対岸となる川の東側は“不浄の地”として、人が住まない土地になっています。

川沿いの大きなガートでは、毎夕「プージャ」と呼ばれる宗教儀式が行われる

川沿いの大きなガートでは、毎夕「プージャ」と呼ばれる宗教儀式が行われる

息子を連れインドで新年を迎えに

子供が小学生ぐらいまでは数年に一度、家族で海外旅行をしていました。しかし子供が大きくなってくると、それもだんだんと難しくなってきますよね。まして男の子なら、親と行くのを次第に嫌がるようになるでしょう。そんなこともあり、今回が最後かもしれないと、私が仕事でよく行くインドに誘ってみたのです。年末年始の休みを利用し、息子とバックパッカースタイルでインド旅行というのも面白いのではないかと。

今回妻は留守番なので、宿泊はいつもの安宿でOKです(笑)。高校生の息子が冬休みに入り、私たちは日本を出てインドに向かいました。インドでは、クリスマスと新年はまったく盛り上がりません。いちおう祝日ですが、町の見た目はほぼ通常営業です。インドの国民の8割がヒンドゥー教徒なので、インドのお正月というとヒンドゥー教の新年である「ディワーリー」になります。これはヒンドゥー暦に従い、毎年10月下旬から11月下旬に行われ、インドではその前後1週間ほどが休みになります。一方、1月1日は休日になりますが、とくに家庭でイベントがあるわけではありません。

狭い路地では、ウシとすれ違うのも大変

狭い路地では、ウシとすれ違うのも大変

聖地ヴァーラーナシーに到着

息子にとっては初めてのインドなので、いちおう観光地も回りました。アグラのタージマハルやジャイプルのマハラジャの宮殿などですね。その後、ヴァーラーナシーへ向かいました。

ヴァーラーナシーは大変なにぎわいでしたが、年末だからではなく、いつもそうなのです。川沿いのガート付近の道は人がすれ違えるほど狭く、曲がりくねっているので視界が開けません。なので慣れないと方向感覚を見失い、道に迷ってしまいます。また、ヴァーラーナシーは野良牛が多い町です。ヒンドゥー教でウシは神様シヴァの乗り物である聖なる動物。このヴァーラーナシーはシヴァ神の聖地ということもあり、とにかくウシが多いのです。なので道幅が狭いところでは、ぶつからないように気をつけなくてはなりません。息子はかなりウシに怯えていました(笑)。ふつうは問題ありませんが、気が立って攻撃的になっているウシや、路地を激走していくウシもいるので、要注意です。

 

大晦日の夜と花火

大晦日の夜、ガンジス川を見下ろす屋上レストランに行きました。インドとはいえ冬なのでそこそこ冷え込み、気温は10〜11月の東京ぐらいでしょうか。日本人が多く、お客の1/3ほどを占めていました。きっと年末年始の休みを利用してきているのでしょう。食事中に日本が先に新年を迎えたので、私は息子に新年の挨拶をするよう、母親にLINE電話させました。

その夜は新年に切り替わる少し前に、宿泊している宿の屋上に登りました。屋上から見る町は、まっ暗で静かでしたが、新年になると同時に町のあちこちで小さな花火が上がりました。それも、めいめいが勝手にダラダラと打ち上げる感じです。まあ、それもインドらしいのですが。20分ほどするとそれも収まり、私たちは翌朝に備えて部屋に戻り眠りにつきました。

夜明けのガート

夜明けのガート

ガンジスの川面を覆う霧

翌朝、5時に頼んでいたボート漕ぎの青年はとうとうホテルに現れませんでした。後で聞いたところによると、前夜に友だちと飲みすぎて寝坊したとのこと。その言い訳ですんでしまうのも、インドといえばインド。

仕方なく私たちはボートからの初日の出をあきらめ、まだ薄暗い路地を抜けてガートへと向かいました。すでに大勢の人々が川岸に集まっていましたが、霧が立ち込めて川面すら見えません。それでも沐浴する人、ボートに乗る観光客など、毎朝見られるいつもの光景がそこにはありました。いつもより日本人旅行者の姿が多く目に付くのは、日本人にとって初日の出が特別だからなのでしょうか。ボートの客引きが声をかけてきましたが、すぐには霧が晴れないようなので、私は息子とガート沿いの茶屋でチャイを頼み、イスに腰掛けて目の前のガンジス川をぼーっと見つめていました。

朝の沐浴風景。ふつうに体を洗っている人もいる

朝の沐浴風景。ふつうに体を洗っている人もいる

静かな日の出で一年が始まる

参拝の前の沐浴と言っても、お祈りしている人ばかりではなく、風呂代わりに石鹸で体や髪の毛を洗う人もいます。息子はこの沐浴風景を見るのは初めてなので、インパクトがあったことでしょう。

明るくなるに連れ次第に霧は晴れていき、登る瞬間は見えませんでしたが、小さな太陽が見えてきました。視界を淡いオレンジ色で包み、川面のボートをシルエットにするその姿は、モネの絵画「印象・日の出」を連想させました。私たちは親子揃って、聖なる川の初日の出に見入りました。自分が世界の一部になったような気分です。こうして私たちの新しい一年が始まりました。

 

このインドの旅が息子にどんな影響を及ぼしたのか、向こうからはあまり語らないので、正直私にはわかりません。彼にとっても親に素直について行くギリギリの年齢だったかもしれません。何かを感じてくれ、いつか彼の人生に役立てばいいかなと思っています。子供は気がつくと成長しているもの。私にとっては、その年齢の子供と過ごせる機会は一度限りのものです。 “一生モノ”の旅にならない訳がありません。

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

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