201901/17

フランスのディープスポット!著名人が眠るパリの3大墓地 その2 モンマルトル墓地 [海外旅行 フランス パリ]

墓地の上に高架となっている道路。『大人は判ってくれない』など、フランス映画にときどき登場する

墓地の上に高架となっている道路。『大人は判ってくれない』など、フランス映画にときどき登場する

パリ市街北部にあるモンマルトルの丘。ここは19世紀末から20世紀初頭にかけて、ピカソやモディリアーニ、ゴッホなど数々の芸術家たちが集まってきた場所です。そのモンマルトルの西端に「モンマルトル墓地」があります。ペール・ラシェーズ墓地、モンパルナス墓地と並ぶパリの3大墓地ですが、その中では一番小さいでしょうか。しかしここも多くの有名人が眠っています。墓地は自由に入れるので、近くまで来たら寄ってみてはいかがでしょうか。今回も私が好きな人のお墓を訪ねてみました。パリのお墓巡り、第2弾をお送りします。

愛をひたすら描いた映画監督フランソワ・トリュフォー

映画監督フランソワ・トリュフォーの墓

映画監督フランソワ・トリュフォーの墓

私がこの墓地に行きたかった一番の理由は、映画監督フランソワ・トリュフォーの墓があるからです。今の若い方には馴染みがないと思いますが、私が映画を観始めた高校生時代、トリュフォー作品は名画座の定番プログラムでした。1932年にパリで生まれたトリュフォーは、1959年に自伝的な『大人は判ってくれない』で長編映画デビューをします。この作品は、ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959)と並ぶ「ヌーヴェルバーグ(「新しい波」の意味)の代表作品になりました。以降『ピアニストを撃て』(1960)、『突然炎の如く』(1961)、『アメリカの夜』(1973)などの名作を発表。1977年にはトリュフォーを敬愛するスピルバーグ監督に請われ、映画『未知との遭遇』にフランス人科学者役で出演します。しかし1984年、脳腫瘍により52歳の若さで亡くなりました。トリュフォーは暴力を嫌い、生涯、恋愛映画しか撮りませんでした。トリュフォー作品に出会った当時、高校生だった私は「大人になったら、あんな恋愛してみたい」と思ったものです(笑)。トリュフォー映画、いま見てもおしゃれですよ。

サスペンス映画の巨匠アンリ・ジョルジュ・クルーゾー

映画監督アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの墓

映画監督アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの墓

モンマルトル墓地には、フランスを代表するもうひとりの映画監督、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの墓もあります。1907年生まれのクルーゾーはトリュフォーよりも上の世代。トラックでニトログリセンを運ぶ男たちのサスペンス『恐怖の報酬』(1953)、ホラーのような犯罪もの『悪魔のような女』(1954)は、名作といっていいでしょう。この2本は私が子供の頃によくテレビで放映していたのですが、大人になって再鑑賞したら本当によくできている映画なので驚きました。両作品共、のちにアメリカでリメイクされていますが、クルーゾーのオリジナルは凌げませんでした。機会があったらこの2作品は絶対に観てくださいね。

名曲「枯葉」の作曲者ジョゼフ・コスマ

作曲家ジョゼフ・コスマの墓

作曲家ジョゼフ・コスマの墓

映画つながりですが、ハンガリー生まれの作曲家ジョゼフ・コスマの墓もここにあります。1905年生まれの彼はユダヤ人だったため、ナチスの台頭とともにパリに移り住みます。やがて映画音楽に携わるようになり、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』、マルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』などの名作の音楽を作曲しました。しかし今も多くの人によって歌われ続けているのは、ジャズやシャンソンのスタンダードナンバーとなった「枯葉」でしょう。これは映画『夜の門』の主題歌で、映画では主演のイヴ・モンタンが歌いましたが、フランスではジュリエット・グレコのバージョンがヒットしました。ジャズではマイルス・ディヴィスやビル・エヴァンスの演奏が有名ですね。実はこの曲、フランス版ではみなさんが知っているメロディーの前に長いイントロがあるのですが、アメリカではそれがカットされてしまい、そちらのほうが有名になってしまいました。

伝説のバレエダンサー、ニジンスキー

バレエダンサーのニジンスキーの墓

バレエダンサーのニジンスキーの墓

伝説のバレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの墓もこの墓地にあります。1890年にウクライナで生まれたニジンスキーは、1909年にパリで興行師のディアギレフ、ダンサーのアンナ・パヴロワ、振付師のフォーキンらと共にバレエ団「パレエ・リュス」を立ち上げます。これが大成功し、20世紀のバレエの新しい形を作るのです。フォーキン振り付けの『薔薇の精』『ペトルーシュカ』が話題になった後、自ら振り付けした『牧神の午後』と『春の祭典』は物議をかもすものの、バレエの新時代を切り開きました。しかし1919年以降は精神を病み、引退。1950年に亡くなります。日本では山岸凉子の漫画にもなりましたが、私は映画で彼を知りました。ニジンスキーの踊る映像は残念ながら残されていません。

 

このモンマルトル墓地には、他にも印象派の画家エドガー・ドガ(バレエの絵で有名ですね)、楽器のサックスの発明者アドルフ・サックス、ロマン派の詩人ハイネ、ロマン派の作曲家ベルリオーズなどが眠っています。大きな墓地ではないのでお墓は見つけやすいと思います。あなたのお好きな偉人がいたら、寄ってみてはいかがでしょうか。

坂道が多いモンマルトルは、パリの中でも私が好きな地区です。偉大な芸術家たちが有名になる前に同じ道を歩いたと思うと、気分も高まります。そんな街歩きの合間にふらりと寄れる場所がこの墓地です。ゴッホとテオが住んでいた家や、ムーラン・ルージュ、映画の中でアメリが働いていたカフェからも歩いて5分もかかりません。ここでしばし静けさに浸り、偉人たちへ思いを馳せるのもひとつの旅。そんな瞬間も“一生モノの旅”のひとつではないでしょうか。

 

[DATA]

モンマルトル墓
https://www.paris.fr/equipements/cimetiere-de-montmartre-5061

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

201811/12

アートの街を満喫。芸術家と映画のロケ地 パリのモンマルトル散歩  [海外旅行 パリ]

丘上にそびえるサクレ・クール寺院は、モンマルトルのランドマークだ

丘上にそびえるサクレ・クール寺院は、モンマルトルのランドマークだ

「芸術の都パリ」。使い古された表現ですが、初めてパリに行った30年前、私にとってパリはまさしくアートの街でした。とりわけ映画と絵画は、当時の私にとって大きな存在で、観光名所というより、芸術家ゆかりの地を巡っていました。その後、パリには何度も行っていますが、今回は、まだ“何者”でもなかった20代の私が初めて行き、滞在したモンマルトルの街を紹介したいと思います。あの時の旅は、自分にとってはまさに“一生モノ”の旅でした。

 

芸術家たちが集まったモンマルトル

セーヌ右岸のパリ18区に、パリで一番高い丘、モンマルトルがあります。丘上のサクレ・クール寺院、似顔絵描きの画家が並ぶテルトル広場、キャバレーのムーラン・ルージュなど、ここはパリ有数の観光地です。もともとはパリとは別の村でしたが、19世紀に拡大するパリ市街に呑みこまれてしまいます。20世紀初頭には歓楽街が生まれ、キャバレーが軒を連ねました(当時のパリのキャバレーは、歌手や芸人、踊り子などがパフォーマンスをする舞台でもあった)。また、貧乏な芸術家たちも、安い家賃のモンマルトルに集まってきました

老舗映画館Studio 28は、今もミニシアターとして営業中

老舗映画館Studio 28は、今もミニシアターとして営業中

私の初パリもモンマルトル

私が初めてパリに行った30年前、しばらく滞在していた安ホテルもモンマルトルでした。メトロのアベス駅から徒歩5分。当時はまだまだ庶民の町といった風情が残っていました。泊まったホテルの名前は「ホテル・デザールHotel Des Arts」(芸術ホテルの意味)。物価も当時は安く、トイレ、シャワー共同で1泊4000円ぐらいだったかと思います。同じ宿には日本人画学生や近くの学校に通うバレリーナもおり、若い活気に満ちていました。イーゼルを抱えた宿泊客と階段ですれ違うだけでも、素敵な気分でしたね。このホテルは現在もありますが、リノベーションして中級ホテルになり、当時の風情はなくなってしまったことでしょう。

ホテル・デザールの目の前には、今も1928年にオープンしたという映画館「Studio 28」があります。これはジャン・コクトーが内装をデザインした映画館で、監督ブニュエルのシュールレアリズム作品『黄金時代』上映の時は、右翼が爆弾をスクリーンに投げつけたそうです。映画『アメリ』で、アメリが映画を見ているのもこの映画館です。

 

印象派の画家たちが描いた場所

ホテルの坂道を登った突き当たりに大きな風車が見えますが、ここはかつてダンスホールでした。ルノワールの名画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』のほか、ゴッホ、ピカソ、ユトリロらもこの場所を描いた、名画の場所なのです。

逆に坂を下り、レピック通りを右に行くと、すぐにゴッホと弟のテオが住んでいたアパートがあります。ただし住居なので、一般には公開されていません。

映画『アメリ』の舞台になり有名になったが、昔から営業していた「カフェ・ドゥ・ムーラン」

映画『アメリ』の舞台になり有名になったが、昔から営業していた「カフェ・ドゥ・ムーラン」

『アメリ』のカフェもこの近く

そのレピック通りからメトロのブランシェ駅があるクリシー通りまでは坂を下って徒歩5分。私がよく通っていたその途中のカフェが、その後、映画に出てきた時はビックリしました。「カフェ・ドゥ・ムーランCafé des 2 Moulins」は映画『アメリ』で、アメリが働いていたカフェです。見慣れていた場所にスクリーンで再会した時は、驚きと懐かしさで胸がいっぱいになりました。

カフェ・ドゥ・ムーランの前の道を下り、クリシー通りに出たところにあるのが、有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」です。映画もありましたが、あれはセット。ここは画家ロートレックの絵で有名ですね。今も古きスタイルを伝えるキャバレーとして健在です。

「洗濯船」があったエミール・グードー広場。訪れたら映画のロケが行われていた

「洗濯船」があったエミール・グードー広場。訪れたら映画のロケが行われていた

若き芸術家たちが暮らした場所

モンマルトルの丘上へ行く途中、静かなエミール・グードー広場に寄り道してみましょう。ここには20世紀初頭に「洗濯船」と呼ばれる集合アトリエ兼住宅があり、ピカソ、ブラック、モディリアーニ、ゴーギャンなど、のちに大成する画家たちが暮らしていました。ピカソの代表作『アビニョンの娘たち』(1907)はここで描かれたため、キュビズムの誕生の地としても知られています。「洗濯船」は残念ながら1970年に焼失してしまい、今は小さなショーウインドーに当時の面影を伝える資料が飾ってあるだけなのが残念です。

サクレ・クール寺院の脇には、パリに唯一残るというブドウ畑も残っています。19世紀初頭までは丘の斜面の3/4はブドウ畑でした。この畑の向かいに、かつてのキャバレー「ラパン・アジル」があります。前述の「洗濯船」に住むピカソなどの画家たちが通っていました。小さな店ですが、今もシャンソンを聴かせる店として営業中です。

 

その後、行くたびにモンマルトルの観光地化は進み、街並みも少しずつ変わっていきました。それでも、東京などに比べれば、変わらない部分の方が多いでしょう。この記事を書きながら、30年前にあの安ホテルに集っていた画家の卵や若いバレリーナたちはどうなったのだろうと、久しぶりに思い出しました。芸術作品を見るのも大切ですが、それを生んだ場所の空気に浸るのも、私にとっては重要です。そんなことも、また“一生モノ”の旅なのかもしれません。

 

[ DATA ]

スタジオ28( www.cinema-studio28.fr/ )
カフェ・ドゥ・ムーラン( cafedesdeuxmoulins.fr/ja )
ムーラン・ルージュ( www.moulinrouge.fr/ )
ラパン・アジル( au-lapin-agile.com/ )

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

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