201903/21

家々が山肌を覆いつくす圧巻の光景 チベット仏教の聖地「ラルンガル僧院」

山肌にビシーッとへばりついたマッチ箱のような小さな赤い家。数えきれないほどある家々が山肌を覆いつくしています。標高3880メートルの高原の中に突如現れるこの不思議な山には、「ラルン・ガル・ゴンパ」というチベット仏教の寺院があります。中国語では「喇栄五明佛学院」と呼ばれ、チベット世界が好きな旅行者なら一度は行ってみたい憧れの地です。私も2004年の四川留学中に初めて行きました。当時、喇栄五明佛学院がある四川省甘孜チベット族自治州色達までの道は悪く、寒い季節だったので行くのが本当に大変でした。「一生モノ」の旅だったはずなのですが、どうしてももう一度見たくなり、その9年後、再び色達に向けて旅立ったのです

開放と非開放を繰り返す喇栄五明佛学院

喇栄五明佛学院は、2001年には8000人以上の僧と尼僧がいたと言われる巨大寺院です。社会不安から漢民族の信者も増え続けています。宗教の取り締まりが厳しい中国なので、喇栄五明佛学院に目をつけていないはずがなく、開放と非開放を繰り返しています。2004年は、外国人旅行者が入れるかどうか微妙な時期でしたが、2回目の2013年は、いわばブームの年でした。この時、四川省成都のユースホステルに泊っている旅行者の多くが、この喇栄五明佛学院を目指していました。

2004年の喇栄五明佛学院。2013年と比べると建設中に見える

喇栄五明佛学院の歴史は意外と浅く、1980年代前半に建設された

2013年の喇栄五明佛学院ブームの年、再び色達へ

喇栄五明佛学院に行く人が一気に増えていたのは、ネットであの不思議な風景を見た人が多かったことや、中国当局が観光地化して宗教的意味合いを薄めようとしていたことが理由に考えられます。また、色達での道路事情もものすごく良くなっていました。2000年代前半は成都から1泊2日かかりましたが、2013年になると、約13時間で行けるようになりました。ただ、いきなり色達に行くのは、高地が続きすぎて、高山病にかかってしまう可能性大。私は、成都とセルタの間にあるマルカムで1泊し、高所順応してから行くことにしました。2013年12月、セルタを目指して成都を出発!

喇栄五明佛学院に向かう道の入り口で見られる仏画

マルカムを朝7時20分に出発したバスは、午後2時30分、喇栄五明佛学院に近い三叉路に着きました。バスの終点は、約20キロ先の色達県の中心部。ここまで行けば、ユースホステルやホテルがありますが、時間を節約したい私は、三叉路にある安宿に泊まることにしました。

10年ぶりの喇栄五明佛学院は変わっていたか?

喇栄五明佛学院は、セルタ県城に続く道路沿いから2、3キロ奥まったところにあります。途中まで乗合バンに乗り、駐車場で降りた後は、れんが色の袈裟を着たお坊さんたちと一緒に荒涼とした山間部の道を歩きます。赤い家で覆われたあの不思議な山が見えてきました。まさに「おおっ、やっとたどり着いた!」と言う感じ。あっと言う間に喇栄五明佛学院に到着。午後の読経の時間が始まっているのか、本堂の入口にはお坊さんが脱いだブーツの山。中に入りにくいので見学は後にして、まずは山に登ります。喇栄五明佛学院の裏が山になっており、適当な道を見つけたら家と家の間を登って行きます。

この細い道を登っていく。薄い板張りの家は本当に寒そうだ

マッチ箱のような赤い家は僧坊です。近くで見ると、各家はまさに掘っ建て小屋。窓から仏画が描かれたベッドや棚、飼っている猫が見えました。僧坊の前の細い道を縫うように登って行くと、標高が高いので青空に近づいていく感じです。てっぺんに到着! チベット族の巡礼者たちが金色屋根のお堂の周囲をぐるぐる回り、お堂の前では小さな子供まで五体投地をしています。赤い山のてっぺんからすり鉢状に広がる谷を見降ろすと、そこは赤い僧坊に覆われた赤い谷でした。こんな不思議な風景は中国のどこに行っても見られません。しかも10年前より格段にパワーアップ。まさに「一生モノ」の風景を見られたことに感動です!

家族総出で巡礼に来ているチベット人も多い

てっぺんから見た喇栄五明佛学院

 

私が行った翌月の2014年1月、喇栄五明佛学院で火災が起きました。その後、2016年7月から中国当局による大規模な破壊が始まったと言われ、外国人も中国人も行けなくなってしまいました。2013年の2度目の旅が、本当に「一生モノ」の旅になってしまったのです。しかしいつかまた、ここが開放される日が来るかもしれません。その時、私はまた行ってしまうのか、今はまだ想像もつきません。

 

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喇栄五明佛学院への行き方
四川省成都の茶店子バスターミナルからセルタ行きのバスに乗り、終点下車。セルタ県中心部より喇栄佛学院行きの乗合バスあり。

 

浜井 幸子

古い街、面白い形の塔、粉もの料理など、何かワクワクするものを求めて旅をしています。最近は、中国大陸を夜行列車で移動することも少なくなりましたが、早朝、目的地の駅に着いた時の感じが好きです。まぶしい光の中、駅から一歩踏み出す時のあの緊張と期待が入り混じった気持ちを大切にしたいと思っています。

浜井 幸子
この記事を書いた人

この記事を書いた人浜井 幸子

201903/07

珍しいグルメ発見! 生ハムで有名な雲南省諾鄧(ヌオドン)

魚や肉などの生食の習慣がない中国に、生ハム作りを見に行ってきました。「生ハム」は中国では「火腿(フオトゥイ)」と言います。火腿は中国では単にハムと言う意味ですが、実際は生ハムのことです。その中国で生ハムと言えば浙江省の金華ハムが有名ですが、産地は中国各地にあります。私が行ったのは、雲南省北部の町・大理から約165キロ離れた雲龍県の諾鄧(ヌオドン)です。毎年冬至になるとこの村中で生ハム作りをすると言うドキュメンタリー番組を見たので、冬至にばっちり照準をあわせて行きました。中国の生ハムの本場で、その生ハム作りを見られるなんて本当に貴重な機会です。人生初で最後と思い、行ってきました。

生ハム作りの季節にやってきたのに、まさかの展開

諾鄧は、秦、漢代から塩を産出している村です。塩は国家の専売品だったので明代には、塩を管理する「塩課提挙司」と呼ばれる役所も諾鄧に置かれていました。抜けるような冬の青空の下、石畳が敷かれた村のあちこちで「火腿、売ります」の手描き看板を目にします。これから人生初、豚の後脚に諾鄧産の塩を塗りつけて、生ハム作りをするところを見学できると思うと、ワクワクしてきました。ところが村人に聞くと、火腿作りはちょうど1週間ほど前に終わったそうなのです。冬至に照準を合わせてこんなに遠くまでやって来たのに、もう言葉もでません。

豆腐腸を作る村の広場。後ろは塩を管理する塩課提挙司があった場所

ショックでぼんやりと村を歩いていると、広場に村人が集まって、なにやら作業中。のぞきこむと白いぐにゃぐにゃしたものを作っています。それは「豆腐腸(トーフチャン)」と言う豆腐で作ったソーセージでした。豆腐に豚の血、五香粉を加えてものを混ぜたものを、豚の腸に詰めたものです。これを日陰の涼しいところに干し、豆腐が黒くなったら食べられるとか。生ハム作りは残念でしたが、豆腐腸作りが見られるのも滅多にないことです。とにかく見学させてもらうことにしました。

竹の棒に豆腐腸をしばりつけ、民家に運びこむ

中国でも珍しい豆腐腸とは?

豆腐腸は大理市永寧県の特産品ですが、火腿と比べれば無名です。地味な食材というのが原因のひとつかもしれません。しかし私にとっては特別な食材です。今回、生ハム作りを見に来るきっかけになったのは、中央電視台で放送された「舌尖上的中国(舌の上の中国)」と言う食のドキュメンタリー番組でした。実は前年、私はこの「舌尖上的中国」で取り上げられた安徽省の黄山へ、特産の「毛豆腐」を食べに行っています。その時、菌が表面にびっしりはえた毛豆腐に感動した私は、珍しい豆腐巡りを旅のテーマのひとつに決めていました。だからまさか諾鄧で豆腐を使った食材を見られるなんて、予想外のうれしい展開です! 翌日、豆腐腸が村の食堂で食べられるそうなので、村を出る前に生ハムを買っておくことにしました。

「火腿(生ハム)売ります」の看板。地鶏ハムや生ハム入りチャーハンも食べられる

諾鄧に行ったからには、やはり買ってみたい特産の火腿

諾鄧は781戸、人口約2200人の小さな村です。村のあちこちで「火腿売ります」の看板がかかっているので、そこで買うことができます。私が行った家では、塩を豚の足全体にまぶし、天上から吊るす前の状態のものを見せてもらうことができました。これだけでも感激です。生ハムは作ってから半年後ごろから食べられますが、やはり1~2年保存したものが美味しいと言われています。特に2年以上ものは熟成して本当に美味しそうですよ。

豚の足に塩をまぶした後、暗い場所に1か月おき、それから風通しが良い場所に吊るす

私が買った頃、生ハムは500グラム60元(約1080円)。「舌尖上的中国」で紹介され、値段が倍になったと言われている

火腿は、薄く切って炒めるより大きな塊を水で茹で、スープをとるのが一番上手な使い方だそうです。諾鄧ではこんな風に火を通して火腿を食べますが、上海や北京などの沿岸部の大都市では、薄く切って生のままワインと一緒に楽しむ人も増えています。

豆腐腸と干し豚を蒸したもの。豆腐腸は五香粉と干し豚の塩がきいているので蒸しただけのものを食べても美味しい

豆腐腸は豆腐? それともソーセージ?

さて翌日、村の広場に面した民宿兼食堂で、私は念願の豆腐腸を食べることができました。1か月以上干して外側が真っ黒になった豆腐腸。切ると、中は表面に比べて赤黒いグロテスクな感じです。これを20分以上茹で、臭みをとります。それを屋外で干した豚バラ肉のスライスと一緒に蒸せば、できあがり。お味は豆腐なのにしっかりした噛み応えがあり、肉そのもののよう。食感も味も豆腐ではなく、まさにソーセージでした。

 

生ハム作りを見に行き、私が旅のテーマのひとつにしている珍しい豆腐作りを見ることができました。この予想外の展開が私に教えてくれました。広大な中国大陸には、まだまだ外国人旅行者に知られていない珍しい食材があるのでしょう。日本にはない、面白い食材を求める旅は。これはまさに“一生モノ”の体験ができる、美味しい旅になることまちがいないでしょうね。

 

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アクセス
雲南省昆明から高速鉄道で大理駅へ。大理駅から徒歩で大理新バスターミナルへ移動し、7:30~16:40まで約40分おきに出ている、雲龍行きのバスで所要3時間。雲龍から三輪タクシーで約20元(約360円)。

 

浜井 幸子

古い街、面白い形の塔、粉もの料理など、何かワクワクするものを求めて旅をしています。最近は、中国大陸を夜行列車で移動することも少なくなりましたが、早朝、目的地の駅に着いた時の感じが好きです。まぶしい光の中、駅から一歩踏み出す時のあの緊張と期待が入り混じった気持ちを大切にしたいと思っています。

浜井 幸子
この記事を書いた人

この記事を書いた人浜井 幸子

201901/19

菜の花畑を走る蒸気機関車を見に、四川省楽山市の犍为に行く![海外旅行 中国]

鉄道旅行好きですが、鉄オタではありません。全くの衝動。たまたま見た写真に目が釘付けになり、どうしても行きたくなり行ってきました。それは、四川省楽山市の犍为(チエンウェイ)にある芭石鉄路の写真です。咲き乱れる菜の花の中を白い煙を吐きながら走って来る蒸気機関車にしびれました。この写真の世界に自分も立ちたくて決めました。仕事やリフレッシュのために行く旅ではなく、「どうしても今、見たい」と言う衝動や直観に従えば、その旅は、きっと「一生モノの旅」になると思うのです。

私がしびれた四川省に今も残る『芭石鉄路』とは?

春の中国旅行と言えば、菜の花を見に行くツアーが人気です。中国の菜の花の名所は、雲南省の羅平など人気の場所が各地にあります。しかしその中で最もハードルが高いのが犍为でしょう。それは芭石鉄路のチケットを入手するのが非常に難しいからです。芭石鉄路は、1959年7月に嘉陽炭鉱が掘り出した石炭を運搬するために敷いた19.8キロの鉄道です。幅76.2センチのナローゲージの鉄道でもあり、「嘉陽小火車(鉄道)」とも呼ばれています。1980年代に鉱山が閉山された後も、芭石鉄路は沿線住人の唯一の交通手段として営業を続けました。これが注目されるようになったのは、沿線に残るノスタルジックな風景です。1970年代の社会主義を突き進む中国を思い起こす風景が、映画やドラマのロケ地に使われたのです。

沿線の住民。素朴な村の生活が見られる

沿線の住民。素朴な村の生活が見られる

芭石鉄路の風景は、写真撮影や鉄道好きの間では有名でしたが、一般には特に知られてはいませんでした。しかし今では四川省の春の人気観光地として有名になり、中国の国内ツアーも訪れるようになりました。以前は外国人旅行者でも簡単に買えた芭石鉄路のチケットですが、今では菜の花が咲く2月下旬から4月にかけては本当に入手困難です。1日4往復の鉄道もこの季節には増便されますが、それでもまったく足りません。しかも芭石鉄路は中国鉄路局が運営している鉄道ではないので、鉄道予約サイトでは扱っていません。外国人にはまったくもって入手困難なチケットなのです。

なんとかなるだろうととにかく現地にGO!

こんな蒸気機関車に接続した客車に乗ることができる

こんな蒸気機関車に接続した客車に乗ることができる

私が狙っていたのは、わずかに残っている(であろう)当日券です。いつもなら外国人旅行者は、犍为に近い楽山市に泊まるのが普通です。楽山市は世界遺産の楽山大仏がある観光都市なので、ホテルは数多くあります。楽山から犍为は日帰りが可能ですが、菜の花の季節だけはほぼ不可能。ここは余裕を持って、芭石鉄路の駅がある三井に泊まることにしました。

楽山を出発し、10時半ごろ三井に到着。バスを降りた場所から目についたチケットオフィスに猛ダッシュ! ホテル探しや記念撮影より芭石鉄路のチケットのゲットが最重要課題です。土日を外し金曜に行ったのも良かったのか、5,6人しか並んでいません。しかし、残っていたのは午後14時発と16時発のチケットのみ。14時発と15時30分発の戻り列車のチケットを押さえました。これで菜の花畑の中を進む蒸気機関車に私も乗れることになりました。

閉山された嘉陽炭鉱の設備がそのまま残っている

閉山された嘉陽炭鉱の設備がそのまま残っている

芭石鉄路に乗って、一面の菜の花の中へ

閉山された嘉陽炭鉱の設備がそのまま残っている

閉山された嘉陽炭鉱の設備がそのまま残っている

観光用列車の出発点になっているのは、三井の躍進駅です。名前からして鉄道開通当時の中国を表しています。午後2時発の観光列車ですが、大幅に遅れ午後3時過ぎに発車しました。線路沿いに周辺住民の生活道路がありそうですが、ありません。線路脇の狭い空間のみ。そこを時おりバイクが走って行きます。蜜蜂岩駅で約15分の停車と見学タイムです。駅は屋外博物館になっており、蒸気機関車が展示されていました。ここで方向転換し、いよいよ菜の花鉄道の始まりです。菜園壩駅の手前は大きく湾曲しています。私が感動した写真もこの場所です。大きく湾曲しているため、列車はゆっくりと黄色い海の中を進んで行きます。この後で「火車表演(演技)」と言う素敵なサービスがありました。菜園壩駅で乗客が降り、小高い丘の上に登っている間に蒸気機関車がバックします。乗客は、丘の上から菜の花畑の中を走って来る機関車の写真を撮ることができるのです。

菜の花シーズン中は、1日2本だけの普通列車。普段はここに鶏や豚が乗ることもある

菜の花シーズン中は、1日2本だけの普通列車。普段はここに鶏や豚が乗ることもある

その後は列車が大幅に遅れたため、終点の芭溝に到着するとすぐに引き返すことになり、芭溝に残るレトロな建物をほとんど見られませんでした。翌日は朝7時発の普通列車に乗り、もう一度、菜園壩駅に菜の花を見に行きました。この日は列車が1時間30分以上も遅れていました。菜園壩でもう一度、菜の花畑を走って来る蒸気機関車を見学。終点の芭溝までのチケットは放棄して、2時間かけて躍進駅まで歩きました。戻る途中、線路を歩く観光客の集団とすれ違いました。土曜日のせいか朝10時の時点でもう午後4時のチケットしかなかったので、歩いている人たちでした。

芭溝駅には、社会主義まっしぐらだった時代の中国がそのまま残っている

芭溝駅には、社会主義まっしぐらだった時代の中国がそのまま残っている

本当に綱渡りだった芭石鉄路の旅

チケットの入手が難しく、列車が遅れに遅れるなど、時間的にも精神的にもドキドキハラハラの旅行でした。「菜の花畑の中を走って来る蒸気機関車を見たい」と言う気持ちを最優先することに迷いがなかったので、私は2回も菜の花と蒸気機関車を見ることができ、菜の花の景色に心行くまで浸れました。

私が行った2017年に比べると、現在は芭石鉄路のチケットはさらに入手困難になっています。本当に行っておいて良かった。衝動に突き動かされ、エイヤッと旅に出れば、無我夢中で困難もなんとかクリアでき、結果的に「一生モノの旅」になるようになるのでは? なんて思っています。

 

[ アクセス ]

四川省成都より高速鉄道か成都の成都旅游バスセンターから高速バスで楽山へ。
楽山高速バスターミナルより犍为へは、高速バスで約1時間。到着した犍为のバスターミナル前で三井行きのバスに乗換え、約40分で三井に到着。楽山から犍为行きは午後6時ごろ終了。
犍为から三井行きは、午後7時20分頃終了。

浜井 幸子

古い街、面白い形の塔、粉もの料理など、何かワクワクするものを求めて旅をしています。最近は、中国大陸を夜行列車で移動することも少なくなりましたが、早朝、目的地の駅に着いた時の感じが好きです。まぶしい光の中、駅から一歩踏み出す時のあの緊張と期待が入り混じった気持ちを大切にしたいと思っています。

浜井 幸子
この記事を書いた人

この記事を書いた人浜井 幸子

201901/18

シルクロードの玉商人を訪ねて。中国・新疆ウイグル自治区のホータン [海外旅行 中国]

市場に並ぶ小さな玉。これは手頃な値段のもの

市場に並ぶ小さな玉。これは手頃な値段のもの

人間は文明が始まる以前から装飾品を身につけていました。最初は貝や木の実、動物の骨などでしたが、やがて美しい石に穴を開けたり、加工したりするようになります。これが宝石や貴石ですが、金銀を別にすると珍重する石は地域によって異なりました。単にきれいな石というだけでなく、その石自体に力があると考えられていたからです。中国の場合、それが「玉(ぎょく)」でした。何年か前、私はその玉の産地の中国新疆ウイグル自治区にあるホータンを訪れました。今回はそこで玉商人の家に招かれた旅の話を紹介します。

「玉」とは

玉商人の家で見せてもらった玉の原石。これから加工されるが、大きなものになると数千万円するという。

玉商人の家で見せてもらった玉の原石。これから加工されるが、大きなものになると数千万円するという。

「玉」とは翡翠のこと。緑あるいは白、その中間色をした石で、「硬玉」と「軟玉」の2種類に分かれます。この玉を珍重する文化は、古くから中国とメソアメリカにありました。中国で採れるのは「軟玉」で、とくにホータン(和田)産のものは「和田玉(ほーたんぎょく)」と言い、高い価値がありました。伝承では紀元前の前漢の武帝の時代、西域に派遣された張騫が持ち帰って皇帝に献上したのが、最初に中国に伝わった玉だと言います。

古代中国では玉は権威の象徴でした。身につけることができるのは王侯や許された貴族だけで、一般人は禁じられていたのです。また魔よけやお守りの力があるとされ、玉を副葬品として死者と一緒に埋葬する習慣が漢民族の間に広まりました。

シルクロードの交易都市として発展したホータン

屋外バザールにて。岩塩をロバ車で運ぶ老人

屋外バザールにて。岩塩をロバ車で運ぶ老人

ホータンが位置するのは広大なタクラマカン砂漠の南側。古来より砂漠を南北に迂回する隊商ルートのひとつ「西域南道」にあります。周囲を砂漠に囲まれながらも2つの川によりオアシスを形成し、紀元前からここには都市国家が生まれていました。交易により栄えたホータンですが、シルクロードの主要ルートが砂漠の北道に移り、15世紀以降は世界的な貿易ルートが海の道になったこともあり、町は次第に廃れていきました。

ホータンに住む人々の多くは、イスラーム教徒のウイグル族です。ただし町の中心部は、新疆の他の町同様、漢民族の移住による漢化が進んでおり、個性のない“よくある中国の地方都市”の街並みになっていました。ですが、町の外に出ると漢民族の姿は消え、一気に農業や牧畜業を営むウイグル人の世界になります。ポプラ並木の未舗装の道をロバ車が行き交う、昔ながらの姿がそこにはありました。

ユルンカシュ川で玉を探す人々

ユルンカシュ川の河原で玉を採掘する人々

ユルンカシュ川の河原で玉を採掘する人々

ホータンでは玉の産地を見たく、町外れを流れるユルンカシュ川に行ってみました。ここは二千年以上前から玉が採掘されている川です。夏になると崑崙山脈からの雪解け水が玉を押し流します。水量が減り河原が露出してくる冬まで待ち、人々は河原に出て玉を探すのです。訪れたのは水量が少ない時期だったので、河原は一面、石で埋め尽くされていました。ホータンの玉は枯渇しかかっていると聞いていましたが、眺めると今でも玉を採掘している人たちがいます。

河原のあちこちには採掘者たちのテントがあり、そのうちのひとつを訪ねて話を聞いてみました。そこにいた夫婦はふだんは農業をしており、農業の合間に来て玉を探しているとのことでした。「どのくらい稼げるの?」と聞くと、一ヶ月で5000円から1万円くらい。いくら田舎でも今の中国ではまったく大した金額ではありません。それならなぜ掘るのかというと、たまに“大当たり”が出るからだそうです。この夫婦は以前に、年収の2倍ほどの玉を掘り当てたことがあるとか。ならば「あの夢をもう一度」と、宝くじを買うような感覚で玉探しをしているのかもしれません。

玉を磨く少年。こうした風景が街の各所で見られる

玉を磨く少年。こうした風景が街の各所で見られる

玉商人の家を訪れる

中庭で玉の原石を見せてもらう

中庭で玉の原石を見せてもらう

最後に知り合いのつてで、成功しているという玉商人の家にお邪魔しました。家は町から少し離れた村にあり、家族総出で出迎えてくれました。ご主人に聞くと、20年前まではふつうに農家を営んでいたそうです。そのころはまだ玉の値段も高くなく、仕事が軌道に乗るまでは時間がかかったとか。しかしその後、玉の価格が上がり、今では人を使って採掘するほどになったそうです。

頼んで、値打ちがある玉をいくつか見せてもらいました。人気があるのは真っ白ではなく、茶色い模様が入った「羊脂玉(ようしぎょく)」で、その模様によって値段が違うのだそうです。消しゴム大のもので2万円〜。大きなものは数千万円とか。しかし私には見ても価値がよくわかりませんでした。カットするとまた違うのでしょうね。

年収が増えたというので、「これからも玉の仕事を続けますか?」と聞くと、意外にも「わからない」との答え。というのも、玉はかなりリスクがあるビジネスだというのです。「羊なら翌年も予想がつくので、これからは牧羊業に力を入れようと思う」と、最後にご主人は答えました。その時は、そうなのかなと思いましたが、その後、中国では羊肉火鍋ブームが訪れ、羊の価格が1.5倍に上りました。あのご主人、先見の明があったようです。

玉バザールのにぎわい。みんな真剣な表情だ

玉バザールのにぎわい。みんな真剣な表情だ

帰りにユルンカシュ川の上流にある、玉バザールを訪れました。テントに店を構えている人もいれば、ただうろついてポケットから玉を取り出して見せてくる人もいます。直接交渉の世界ですが、個人だけでなくグループや商人の下働きもいます。なんとかして売ろうという気迫を感じました。二千年以上前から営まれているホータンの玉取引ですが、その伝統は今後も続いていくのでしょう。

 

歴史本の中にたびたび現れるホータンの玉。それを実際に採掘したり取引したりしている人の話が聞けたことは、私にとって貴重な体験でした。本やネットでは伝わりにくい、現場の空気感を感じることができるからです。欲しい人がいる限り、これからもホータンでは玉が掘り続けられるでしょう。そんなことを肌で体験できるのも、“一生モノ”の旅なのです。

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

201811/21

シルクロードの大砂丘にたたずみ 沈む夕陽を見る中国・敦煌 [海外旅行 中国]

敦煌の町から向かうと、目の前に大砂丘が迫ってくる

敦煌の町から向かうと、目の前に大砂丘が迫ってくる

私が子供の頃、日本は空前のシルクロードブームで、子供ながらもいつか砂漠の大砂丘を見てみたいと思っていました。30代に入り中国のシルクロードに行き、生まれて初めて砂丘を目にしたときの感動は忘れられません。日本では見られない風景がそこにはありました。今回は私が初めて出会ったその大砂丘、敦煌の鳴沙山を紹介します。

敦煌随一の観光地は、世界遺産の仏教窟が残る「莫高窟」

敦煌随一の観光地は、世界遺産の仏教窟が残る「莫高窟」

シルクロード交易で栄えた町・敦煌

古代、中国の王朝の都は現在の西安(長安)や洛陽などの黄河流域にありました。「シルクロード」とは、そこから「西域」と呼ばれる現在の新疆ウイグル自治区や中央アジアを通り、ローマまで続く交易路のことです。当時の中国と西域の境界線が敦煌の町で、そこから先は漢民族ではない異民族が住むエリアでした。敦煌が栄えたのは、シルクロード交易が盛んになった漢の武帝の時代(前2世紀)からモンゴル帝国時代(13世紀)までのこと。しかしその後、交易路が海上ルートに移り、町は次第に寂れていったのです。

鳴沙山を訪れるなら夕方がいい

鳴沙山を訪れるなら夕方がいい

砂の砂漠は、実はレア?

「砂漠(沙漠)」というと、ラクダの隊商が行くような砂丘をイメージするでしょう。私もそうでした。しかし世界にある砂漠の大半は、砂ではなく石や土からなる「岩石沙漠」や「土漠」で、ところどころには草も生えています。表面が砂の砂漠は、そうした沙漠の中でも特に風によって砂が吹き溜まった場所なのです。中国のシルクロードを代表するタクラマカン砂漠でも、砂丘がある砂漠はごく一部。絵に描いたような美しい砂漠は、私が見た中ではここ敦煌の鳴沙山とピチャンの沙山公園ぐらいでした。

砂丘に行くなら、おすすめは夕刻です。夏の日中は暑くて観光どころではないし、真昼だと影が出ず砂丘が平板に見えてしまいます。太陽の光が斜めにさす夕刻なら、砂丘が作る複雑な曲線に影がくっきりとつき、素晴らしい眺めになるでしょう。

 

大砂丘が目の前に近づいてくる

鳴沙山は、東西40km、南北20kmという砂漠の端に位置する砂丘です。名前の由来は、砂粒が風で擦れあって音を立てることから。私が初めて行った1990年代はまだ、ひなびた観光名所程度の趣でした。ところが2000年代に再訪した時には観光化が進み、砂丘の頂上まで有料梯子ができていました。ここ10年はさらにテーマパーク化しており、今ではバギーやカートも走っての大観光地になってしまったそうです。

町から鳴沙山まではバスがありますが、わずか5kmほどなので私はレンタサイクルで行きました。そうすると、目の前に近づいてくる砂丘をゆっくり感じることができるんですよね。大砂丘が次第に大きくなってくる姿には、「すごいところに来てしまった」感があります。バスですぐに着いてしまうと、きっとそんなこともないのでしよう。

砂丘を登りきった頂上

砂丘を登りきった頂上

砂丘の上に登頂し、日没をすごす

現在は土足禁止のようですが、私が行った当時はとくに足元の規制はありませんでした。とはいえ靴の中に砂が入ってくるので、登る前に麓で裸足になり砂丘にチャレンジです。砂はとても柔らかく、足を入れたそばから崩れ出していきます。なので登ったつもりでも、1/3ぐらいはまた下に下がります。たかだか100mほどの砂丘ですが、登るのにけっこうなエネルギーが必要でした。

息急き切り、ようやく砂丘の頂上に出ました。尾根の部分は固くて比較的歩きやすく、私は人気の少ないところまで移動しました。ちょうど日没が近づき、太陽がオレンジ色に変化していきます。どこまでも続く砂の海原。その向こうには何があるのでしょう。さまざまなことが頭の中に浮かんでは消えて行き、遠くにラクダの隊商の幻影が見えたような気もしました。私はさらさらと音を立てる砂の音に耳を傾け、砂丘の向こうに沈むまで太陽を見続けました。

 

その後も世界各地で素晴らしい砂丘に出会いました。それぞれすばらしかったのですが、子供の頃にテレビで見た「シルクロードの砂丘」のイメージ通りなのは、やはりこの鳴沙山の大砂丘でした。目の前に広がる砂漠のパノラマのインパクトは大きく、この砂丘に登ったことは今でも忘れられません。これも私の“一生モノの旅”のひとつなのです。

 

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鳴沙山
開園:5:30〜21:30(4/1〜10/31)、7:30〜19:30(11/1〜3/31)
料金:120元

一生モノ 編集部

一生モノを探して、日々奮闘中です。実際に足を運び、取材、体験することで、皆さまが一生モノを見つけるお手伝いをしたいと思います。こんなコンテンツや情報が欲しいなどのご要望やご意見、お待ちしております。お気軽にお問い合わせください!

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