201903/28

神秘的な古代の巨大神像 トルコの世界遺産「ネムルート山」

この遺跡は1987年に世界遺産に登録された

世界を旅していると、ときどき“忘れられない風景”に出会うことがあります。そしてそれは見る時間帯により、印象がさらに強くなることがあります。私にとってトルコ東部のネムルート山頂にある遺跡がそのひとつでした。私はこの遺跡を3回訪れましたが、それが私の特別な景色になったのは、陽の光に染まる日の出と日没の時間帯に行ったからかもしれません。

トルコ東部の山頂に残る古代の遺跡

トルコの首都アンカラから東に約600km。町から遠く晴れた山地にある標高2150mのネムルート山の頂上に、不思議な遺跡があります。山頂の東西にある頭部が転げ落ちた神像群です。ここは紀元前にこの地を支配していたコンマゲネ王国の墳墓と神殿跡。アレクサンドロス大王の死後、東方には多くのギリシャ系の国家が生まれましたが、そのうちのひとつセレウコス朝シリアから前162年に独立したのが、コンマゲネ王国でした。この小さな王国はローマとパルティアという二大強国に挟まれながらも生き延びていましたが、とうとう紀元後72年にローマの属州に編入されました。そしてそれ以来、この山頂の墳墓は打ち捨てられてしまったのです。

「神々と手を握るアンティオコス1世」の浮き彫り。ただしこの石板は、現在は博物館に移されている

ネムルート山に向かう2つのルート。どちらがおすすめ?

人里離れたこの遺跡に行くのには南北2つのルートがありますが、共に山頂までの公共交通機関はなく、現地発ツアーで行くことになります。近いのは南側から行くルートで、空港もある大きな町アドゥヤマン、あるいは遺跡に近い小さな町キャフタからツアーが出ています。この南側ルートのメリットは半日で往復できることでしょう。日没ツアーならアドゥヤマン13時発、キャフタなら16時発です。ただし私はこれに参加したことがありますが、日帰りなので慌ただしいものでした。なので私がおすすめするのは、以下の北側からのルートです。

これは人口約40万人の東部の中都市マラティヤからの1泊2日のツアーです。時間はかかりますが、山にあるホテルに一泊するので日の入りと日の出の両方がゆっくりと見られます。ツアーバス(といってもミニバンですが)は昼の12時にマラティヤを出発し、4時頃に山頂から約2km離れた簡素なホテルに到着します。私はこのツアーに2回参加しましたが、地元トルコの旅行者は南ルートのほうへ行くようで、参加者はドイツ、フランスなどヨーロッパ各国からの旅行者たちが多かったですね。参加者はホテルでいったん荷物を降ろし、すぐに車で山頂の駐車場へと向かいました。

山の周辺にある、ローマ時代に建てられたジェンデレ橋の石柱

山頂にある墳墓と2つの神殿跡

ネムルート山頂は一見ふつうの山頂に見えますが、実は小石を高さ49mの円錐状に積み上げた人工物です。これがコンマゲネ王アンティオコス1世の墳墓で、小石の山の中に王の玄室があると推測されています。ただし、掘ると小石が次から次へと崩れて山頂自体が崩壊するので、発掘は未だにされていません。墳墓の東西には同じ形式の神殿が配置されています。かつては建物もあったのかもしれませんが、今では残っているのはそれぞれ5体ずつの神像とワシとライオンの像です。

階段を上っていくと、山頂を一周する歩道に出ました。この道は一周約5分。周囲には高い山がないので、眼下にパノラマが広がります。町らしい町はまったく見えません。ここから見える大きな湖は、アタチュルク・ダムを造るときにできた人造湖です。

アポロン神の頭部。後ろには座像部分が見える

夕陽に赤く染まる古代の神像たち

太陽は次第に傾き、山頂をオレンジ色に染めていきました。東側はすっかり日陰になってしまい、人々は日の当たる西側に集まっていきます。神像は横一列の座像ですが、その頭部はすべて下の地面に落ち、西を向いていました。地震で落ちたとも後世の人々が落としたともいわれていますが、それはまるで最初からそこにあったかのように、実に風景に合っていました。

5体の神像は、アンティオコス1世(死後、神格化されて神になっている)、ゼウス、アポロン、ヘラクレス、テュケ女神(コンマゲネ王国の守護神)で、ほかにワシとライオンの像があります。観光客たちは静かに神像の頭部の間を歩き、日の入りを待ちました。その日は晴れており、太陽は見事に遺跡を赤く染めていきました。石像の色はもともと白いので、オレンジ色に染まると昼間の光の中で見るのとはかなり印象が異なります。夕暮れのわずかな間、神像はかつての威厳を取り戻したように見えました。その日、このすばらしい姿を眺める特権を得られたのは、頂上にいる十数人の人々だけでした。

アンティオコス1世の像の頭部

2000年間、孤独に夜明けを待っていた神像

日没後、参加者たちはホテルに戻り夕食タイムになります。私は寝る前に少しだけホテルの外に出てみました。空は満天の星が輝いていましたが、10月の山の夜はふるえるほど寒いもの。私はすぐに暖房の効いた部屋に戻り、早々と眠りにつきました。

翌朝、まだ暗いうちにツアー客たちはミニバンに乗り込み、再び頂上に向かいました。寒さに震えながら東の神殿前で待ちます。夜明けを待った方ならわかると思いますが、明るくなってから実際に太陽が顔を出すまでは思っているよりも長いんですよね。やがて空の色は群青色から紫色に変わり、さらにそれが薄くなって東の神像たちが向く方向にようやく太陽が顔を出しました。

この神像たちはこうして2000年以上、毎日ここで太陽が顔を出すのを待っているのでしょう。今では夏の間は観光客が訪れますが、それまでの長い間、神像たちは訪れる人もいない孤独の日々を過ごしていたのでしょうか。太陽を見つめながら私は、そんなことを想像していました。

 

 

[DATA]

ユネスコ世界遺産(英語)https://whc.unesco.org/en/list/448
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=GZwQi7mZAdo
ネムルート山国立公園(英語)http://nationalparksofturkey.com/mount-nemrut-national-park/

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

この記事を書いた人前原 利行

201902/17

トルコに残る古代遺跡 ヒッタイト王国の都ハットゥシャ

大城塞といわれる宮殿跡。かつては日干しレンガでできた建物がそびえていた

トルコは古代遺跡の宝庫です。おそらく古代ギリシャ・ローマの都市遺跡に関しては、その本土よりも保存状態がいいかもしれません。しかしこの国にはそれよりもはるかに古い遺跡があります。今回紹介するのは、古代ギリシャ・ローマ時代よりも千年あまり昔に栄えたヒッタイト王国の都、ハットゥシャです。世界で初めて鉄器を使用した国として知られるヒッタイト。その都は日本の人気少女マンガの舞台にもなりました。私は2度その遺跡を訪れましたが、印象深かった最初の訪問の様子をつづってみます。

悪天候の中、到着したハットゥシャ

冬も近い11月初旬のアナトリア高原。カッパドキアを出た私はバスとタクシーを乗り継ぎ、目的地であるハットゥシャ遺跡を目指していました。今にも雨が降りそうな空の下、人気のない丘陵をいくつも越え、タクシーはようやく遺跡が遠目に見える道路沿いの安宿に着きました。宿があまりにも静まり返っていたので、ご主人に聞くと「シーズン、フィニッシュ!」との返事。他に客はいないようです。

荷を降ろしひとまず外に出ましたが、外は昼だというのに真っ暗です。今にも雨が降りそうな空と強い風、そして岩が露出する荒涼とした大地が目の前に広がっていました。谷を隔てた向かいにハットゥシャ遺跡はあるのですが、この悪天候。行くのは翌日にし、この日は反対方向にある小さな岩壁遺跡「ヤズルカヤ」を見に行くことにしました。

ヤズルカヤは、ヒッタイト王国末期に岩場を利用して造られた露天神殿です。建物は残っていませんが、岩壁に神々の行進などの浮き彫りが残っています。観光客が誰もいない中、ひとりで古代の浮き彫りの前に立っていると、どこからか古代の兵士が現れそうにも思え、少し怖いものさえ感じてきました。私は足早にその場を立ち去り、宿に戻りました。

ヤズルカヤの岩壁に彫られた神々の行進の浮き彫り。3500年前のものでかなり磨耗している

人類初の鉄器文明を築いたヒッタイトの盛衰

前17世紀にアナトリア高原(現在のトルコのアジア部分)に建国したヒッタイトは、人類初の鉄器文化を築きます。古王国時代にはメソポタミアに遠征し、バビロン第一王朝を滅ぼしたこともありますが、その後一時衰退。しかし新王国時代に勢いを取り戻してシリアへ進出し、前1285年頃にはシリアのカデシュでエジプトのラムセス2世の軍と戦います。これは軍事記録が残る世界最古の戦争です。双方が勝利を記録していますが、実際は引き分けかヒッタイト側の勝利だったようです。この戦いの後、世界最古といわれる国家間の和平協定が結ばれます。それを記録した粘土版がこの場所で発見されたことから、この遺跡がヒッタイトの都だったハットゥシャであることがわかりました。

繁栄を誇ったヒッタイト王国ですが、前1200年頃に滅亡します。そのころ地中海全域に進出していた謎の民族集団「海の民」の侵略が原因とされています。都は炎上し、その後、この地に都市が再建されることはありませんでした。

大神殿の入り口。遺跡の中ではもっとも低いエリアにある

ハットゥシャ遺跡へ入場

翌朝起きると、ひと晩待った甲斐があり空は晴れ渡っていました。宿から遺跡のあるボアズカレ村まで1kmほど歩き、ハットゥシャ遺跡に入場します。

古代から都市はたいてい地の利がいいところに築かれました。交通の便がいい海や川に面していたり、谷間にあったりするのですが、ハットゥシャはそれらとは少し違っていました。海からは300kmほど離れ、近くには大きな川もありません。標高約1000メートルの丘陵が続く丘のひとつです。私はなぜここに都が置かれたのか不思議な気がしました。

ハットゥシャ遺跡は、東西約1km、南北約2kmに渡り、丘の斜面に広がっています。地図では大したことがない距離でも実際には斜面になっており、登り下りには体力を使います。ぐるりと回ると5〜6kmはあり、徒歩でじっくり見るなら3〜4時間は必要でしょう。なので車を使って、ピンポイントで見どころだけを回る人もいます。

遺跡に入り、最初に見えてくるのが「大神殿」です。建材には日干しレンガが使われていたので、残っているのは石の土台の部分だけ。全部で200あるという部屋のいくつかには、貯蔵用の大きなかめが露出していました。人々から集めたものはまず神に奉納してから再分配していたので、神殿は貯蔵庫でもありました。

ハットゥシャから発掘されたエジプトとの和平協定を示す粘土板(イスタンブール考古学博物館収蔵)

都城を囲む門と宮殿跡

市街を囲む城壁には6つの門があり、現在はそのうちの3つが復元されています。順路の最初にあるのが「ライオン門」、次が遺跡で一番高い場所にある「スフィンクス門」、3つ目が「王の門」です。遺跡に残る門の浮き彫りはすべてレプリカで、本物は博物館に収められています。スフィンクス門の下には地下道があり、城門を通らずに外に出られるようになっていました。地下道の高さ3メートル、長さは70メートル。途中はわりと暗く、周りに誰もいなかったり、あるいは見知らぬ人と一緒になったりすると、通るのが不安になるかもしれません。

「ニシャンタシュ」は、ヒッタイト最後の王シュッピルリウマ2世の偉業を彫った碑文です。しかし。まもなく国が滅んでしまうかと知ると、見ていて物悲しいものを感じます。

最後が「大城塞」と名付けられた王宮です。これも基礎部分しか残っていません。しかし発掘された1万枚に及ぶ粘土板の中に、前述したラムセス2世との和平協定文がありました。この粘土板は、現在イスタンブールの考古学博物館に展示されています。

発掘が続くハットゥシャの大神殿。200に及ぶ部屋の多くは、穀物などの収蔵庫だった

ハットゥシャ遺跡は世界遺産に登録されるような歴史上重要な遺跡ですが、古すぎて見た目がかなり地味で、観光客も多くはありません。よほど遺跡好きでなければ楽しめないかなと思っていたら、意外にも日本の女性たちが訪れていることを後で知りました。実はハットゥシャは、単行本累計が1800万部という篠原千絵のベストセラー少女マンガ『天は赤い河のほとり』の舞台になった場所なのですよね。これは少女コミックに1995年から2002年にかけて連載された作品で、単行本で全28巻に及ぶ大河作品です。ネットを見ると、熱心なファンの方達がハットゥシャを訪れています。私は後から人に勧められて知って読みました。先に読んでから遺跡を訪れたら、また違う感想があったかもしれません。

 

20世紀に発見されるまで、その存在さえ疑われていたヒッタイト王国の都ハットゥシャ。悪天候の中向かいましたが、幸いにも遺跡を訪れた時は天候も回復しました。その数年後に訪れた時もいい天気でした。しかしなぜかこの遺跡を思い浮かべると、なぜかあの亡霊が出そうな荒涼とした風景のほうが浮かびます。その時写真を撮らなかったのが、今となっては残念なぐらいです。そんな旅の情景もまた、“一生モノの旅”かもしれません。

 

[DATA]

ハットゥシャ(ボアズカレ)へのアクセス
アンカラからはバスでスングルルの町へ行き(約3時間)、そこから乗り合いバンで40〜50分。カッパドキア方面からなら、カイセリからバスでヨズガットまで行き(約3時間半)、そこからタクシーで40分

 

 

前原 利行

日々、自分の興味があるものを追いかけています。音楽、映画、アート、歴史、そしてまだ見ぬ世界の風景や文化…。心に刻まれた一生モノの経験が、自分の最大の財産でしょうか。これからも、まだ知らない出会いを探していきたいと思っています。

前原 利行
この記事を書いた人

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